今の時季にしては暖かな昼下がりの陽気だった。

用事と昼食を済ませた私は、自らステアリングを握る車を東へと向かわせていた。

初めて通る道はブラインドの如く交差点が続き、通過する際のシグナルは青のオンパレードで、「そのままススメ」と何かに誘導されている気分になった。

私が向かっていた先は神奈川県伊勢原市「すし処 さくら」というお店で、このお店の定休日を利用して行われている催事の関係者に会いに行く約束をしていたのだ。

その方というのは、不定期ながら正仙先生の主催で行われる滝行後に、参加者皆さんの冷えた身体と胃袋を温めるべく常の如くアテンドしてくださっている心配りの女性で、接する誰しもがその笑顔に癒されてしまうのだが、本気で怒るとテコでも動かない頑固な人でもあるのだ。

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(私が偶然に深層意識からの声を聴いてしまっただけなので事実は不明です)

https://profile.ameba.jp/ameba/kaoskayo1202


上げてんのか下げてんのかわからないのだけれども、結局のところ私は、営業スマイルに非(あら)ず、時に見ることができる素の笑顔が魅力的なアイタカヨさんに会いたかったのだ(笑)



会場前に到着すると、やはり滝行でご一緒させて頂いたことのあるYさんが駐車場へとアテンドしてくださった。


当たり前なのだが、この日は滝行ではないのでYさんはズブ濡れではなかった。



私が車を停めている間、温かな眼差しで見守っていてくれていたYさんなのだが、車を停め降車する私の手元を見たYさんの笑顔が失笑に変わったことを、私は見逃さなかった。


巧妙に隠したつもりの私だったのだが、あの自作したしょうもない感染症対策フェイスシールドが見えてしまっていたのだった。





催事会場である「すし処 さくら」さんの店内に入ると、目視により体感する綺麗ということだけではない、なにか癒しの空間の如く包まれるような気分になった。


https://loco.yahoo.co.jp/place/g-7mrWXBKV7Mo/


幸いにして盛況な催事で、アイタカヨさんは鑑定中ということもあり、しょうもないフェイスシールドを装着してちょっかいを出そうとする知能が小学生以下の私を落ち着かせるべく、Yさんの放った吹き矢がケツに刺さった(嘘)私は、おかげさまで冷静さを取り戻すことができた。


そしてYさんの細やかなお気遣いで、私は催事会場提供者であり、この日の鑑定士の一人でもある懐の深き大将にご挨拶させて頂いた。


放っておくとロクなことをしないモンスター老人である私を心配したYさんが、アイタカヨさんの鑑定終わりを待つ私の話し相手となってくれた。


そのYさんの本職は別にあるとのことで、その生業とは、ある野菜作りのお手伝いをしているということだった。


なるほど、そのYさんの瞳に映るが如く、生きとし生けるものを慈しむように微笑むあの笑顔は、育まれていく過程のお野菜にもちゃんと伝わっているのだろうと感じた。




話は逸れるのだが、家などのコミュニティにおける作法や、個人の個性ゆえの好み、若しくはアレルギーなどの諸事情はさにあらず、仏教徒や僧侶が肉や魚を食うとはけしからんと声高らかに辻説法する不思議な方と時に出くわす事がある。


そんな意に対し此方があえてマウントを取る気はないのでスルーし、私は泣きながら逃げるのだけども、その辻説法は思考が中途半端やねん。


植物であるお野菜かて、力強く生きてるのわからんのかいな(笑)


生を育むものは、他の命を喰らって生きていると、命で命を紡いでいることに感謝して食することに気づけないことを哀れに思う。


閑話休題


アイタカヨさんの鑑定終わりを待つ間まだ時があったので、私は他の鑑定士さんに私の介護をお願いできないかオファーしてみた。


結果、茶柱かおる子さんが介護鑑定してくださることになった。


https://profile.ameba.jp/ameba/kaoruko-cha?frm_id=v.jpameblo&device_id=9e3475e40a4a4c58b3120dea77f27ed4



ルナルマンカード・オラクルカードなるものを扱い鑑定してくださったのだが、その精度というものは高く、私の秘めた過去や、既に意を決した軌道の決まっている未来を言い当てるが如く的確なものだった。


ネットで拾った、過去を捨てた私のイメージ画像

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カードに描かれている太陽を見た私が、それは

「ピカチュウ」ですか?


とアホな問いをした時の、堪えきれず吹き出してしまった茶柱かおる子さんの笑顔が印象的だった。


何かに思い悩み、誰かにそっと背中を優しく押してもらいたいと願う者は、茶柱かおる子さんの導くが如く鑑定をおすすめしたい。


その頃、アイタカヨさんは継続してまだ鑑定中だったので、「ルーン文字」なるもので導きを示す、魔法使いの猫さんに鑑定プラスαのお話を聴かせて頂いた。


なるほど、ルーン文字は表意文字であるということ。


則ち、アルファベットなどの表音文字に非ず、我が国の主言語のようにその文字一つ一つに「音」以外の「訓」の如く意味を為しているのだとご教示頂いた。


そしてなによりも、鑑定士さんの秘めた信義を知った時、無意識に私自らの口角が上がってしまうことに抗えないような、とても微笑ましい気持ち良さを味わえた。


鑑定士さんいわく、「例えば想いを寄せる相手に告白すべきか否か、未来はその二択のみではないと、三ヶ月後ならば成就する確率が上がるのだと、そんな風に勇気を授けてあげたい」


私と同性である鑑定士さんなのであるが、そのさり気ないカッコ良さに鑑定を受けた者は勇気を得、そして自らの意思で未来を選ぶ力強き歩みを見せ始める姿が見えたような気がした。


そうこうしているうちに催事終了の刻限となってしまい、鑑定士の皆さんにちゃっかりと混ぜて貰い、私もカメラのファインダーの中に収まることとなった。


顔出しOKか不明なので、一部配慮致しました👇



アイタカヨさんとゆっくり話ができなかったのは心残りのような気もしたが、私は次のアポがある東京に戻るべく自ら運転してきた車のドライバーズシートに腰掛け、想いを振り切るが如くセレクターレバーをDにシフトチェンジした。


その時、手榴弾のような包みを抱えたアイタカヨさんがヒットマンの如く走る姿を、私の唯一効いている方の左眼が捉えた。


ウチの猫、くーちゃんにマタタビを頂きました👇



帰路、アイタカヨさんの鑑定後に、少しばかりお話させて頂いた私と同世代か、それ以上の歳月を重ねた女性の顔が浮かんだ。


もちろんカウンセリングという類いではなく、偶然に居合わせた私との世間話だ(笑)


その女性は自らの身体に病を抱え、アタシはどうなるのか?と迷子の如く深層心理の方であった。


好意や善意、そういった思いやりゆえなのであろうと思いたいのだが、毎朝の読経により病が改善すると何方かに勧められ、それを実行中であるが果たしてその成果はいつ見えてくるのであろうか?


本人の心の奥底の声がそう私に問いかけているようで、それはまるで無明の暗闇をたった一人で歩む右も左もわからぬ不安な少女の如く声色(こわいろ)のようでもあった。


「貴女に必要なものは、アタシはどうなるのか?ではなく、アタシはどうしたいのか、ではないのですか」


そう問い掛けた私の言葉に、刹那驚いたその女性の頬が紅潮していくのがわかった。


言い方を変えれば、血の巡りが良くなったのであろう。


いかに立派でありがたい経文であっても、ただそれを読むだけの行いであるのならば、それは薬の処方箋を読むだけの行いなのではあるまいか


貴女の人生という大切な舞台は、貴女という主役が今後どのように立ち振る舞い演じるのか、貴女自身が選ぶべきであろう。


今という現実は、環境因子を含む過去が基になっている結果ではあるのだけれども、これから訪れる未到来の未来というものは、貴女自らの意志で選ぶことができる。


自らの身体に備わる臓器や無意識(潜在意識)をコントロールは至難の技であるが、五感などの意識を自らの意思でコントロールすることで影響を与えることはできる。


意識と無意識、則ち顕在意識と潜在意識の両方に跨っている機能は呼吸であり、その呼吸を正しくコントロールする報いで貴女の望む未来を選んでいく事が、歳月という物理的な長さの単位などではない、人間が「生きる」という行いそのものではあるまいか



瞑想に繋がるが如く呼吸法を教示させて頂き、楽しみを見つけた少女のような笑顔を見せてくれたあの女性の、振り返りお辞儀をして帰って行くあの背を見送った時、「さくら占いフェス」という催事が温かな癒しの空間であると、改めて確信した私だった。


合掌