先週の祈願法要、つまり節分の日を目安に密教寺院の多くで執行される法要に出仕した時の事なのだが、どうにも教本に記されている文句が読みづらい。

そもそも私は独眼であり、そこに乱視が加わっていることは前々からなのだが、ここ数年は老眼の進行が激しいらしく、何か読みものをする時にはルーペを掛けねば見づらくて仕方ない。

ちなみに私は、CMなどでお馴染みのハズキルーペではなく、ドゥーアクティブという左右の度数を各々のツマミで調整できるタイプのものを愛用している。






注)黒猫は商品ではありません。


余談であるが、私が着用しているコンバース柄のトレーナーは、偽ブランドの「こんばんわっス」という商品だ(嘘)


思えば、今の地に居を移す前の前に暮らしていた街、目黒区内のお店でメガネを新調して以来、私はずっと同じ度数のままのメガネを何年も使用している。


歳月を経て、己の視力は随分と劣化しているのではあるまいか


Google検索で拝借した、自らの視力と知力が低下しているイメージ画像👇



そして、某メガネのパリーミキという老舗の眼鏡チェーン店で視力検査を受け、その約一週間後に私は念願の遠近両用メガネを手に入れることができた。



実際に掛けて使用してみると、これまで見えていた世界とは雲泥の差であると体感した。


そしてレンズの下部分に加工してある近視レンズを意識して使用することで、文字なども非常に良く見える。


素晴らしい、感動した❗️


嬉しくなった私は、それまで説明書きが読みづらくて更新作業していなかったLINEアプリを、最新バージョンにアップデートすることにした。


私の愛用する、買った当初は最新機種であったiPhone 6sを操り、LINEアプリ更新ボタン(かもしれない)をタップした時、事件は起きた。



正確には起きない、LINEアプリが起動しないと表現すべきなのであろう。


iPhone 6sの待機画面に貼り付けてあるLINEアプリをタップしても、砂時計の如くマークが現れるだけで一向にLINEアプリが開かない。


私はその事態がうまく飲み込めず、しばらく思考がフリーズを起こした。


LINEアプリが、起動せんしカンナムになってしまった時の、Yahoo検索で拝借した私のイメージ画像

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そして私はその夜、どうにも出来ずフテ寝をしてしまった。


翌朝、心に隙ができた就寝中の私の身体にのしかかるが如く、彷徨える見えざる何者かが寝ている私の上に覆い被さってきた。


しかし私は焦ることなく、眼(まなこ)を閉じたまま密教瞑想に入るが如く深呼吸し、我が真言宗の親分である遍照金剛の御宝号を百遍(百八)念誦してから、ゆっくりと己の閉じていた眼(まなこ)を開いた。



ウ◯チしたから片付けろの合図だった。


元保護ネコ女子のくーちゃんの所作に癒された私は、LINEアプリ起動せえへんし問題を解決する秘策を思いついた。



「贔屓(ひいき)にしているあの飲食店で働くあの女性ならば、こういった事に詳しそうだ」


この日の翌日は首都圏に大雪警報が発令されるかもしれないとあって、底冷えしていたこの日、私は厚着をし、LINEアプリ起動せんしガンダムを卒業すべくあの飲食店へと向かった。


ネットで拾った、

LINEアプリ『起動せんしガンダム』を卒業すべく行動している私のイメージ画像

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やりたかったボケをひと通り行い満足なので閑話休題し、話を節分に戻そう。


符牒としては台密(たいみつ)・東密(とうみつ)と呼称される天台宗・真言宗(順不同)の密教寺院においては、その多くの寺院において、節分の星供養法要が厳修される。


諸々と端折って記すと、人は生まれたその時から生涯ずっと同じ星に守護されている。


北斗七星をご存知であろうか?


その七つの星の連なり方を文字で記すと、クエスチョンマークの如く配列であるのだが、これを読んでくださっている方の参考になるよう、以下に守護星のことを記そう。


先ず先端の星は貧狼(とんろう)星と云い、干支が子に属する。


次は巨門(こもん)星で干支は丑と亥


その次は禄存(ろくぞん)星で干支は寅と戌


そして次が文曲(もんこく)星で干支は卯と酉


次は廉貞(れんじょう)星で干支は辰と申


その次が武曲(むこく)星で干支は巳と未


最後の端が破軍(はぐん)星と云い、干支が午ということになる。


不動なる北極星(地球からはそう見える)の右側に位置する北斗七星は、人が生まれながらにその七つの星のいずれかに属し、生涯において守護されている。


星供養とは、この本命星と北極星(妙見菩薩)を敬い、神社でよく目にすることのある九曜(年度により流れの変わるもの)と二十八宿を供養する法要となる。


年に一度しか執行されない法要なので、ご興味のある方はご自身に縁のある密教寺院などに、来年度に向けて問い合わせてみるのも一興であろう。




私の師僧が営む寺院の今年度に於いては、星供養を二日間に跨ぎ行われることとなった。


一日目は二月三日、今年の暦では追儺(おいな)にあたり、大晦日の如く一年の厄を祓う作法を執行し、二日目となる二月四日の立春は星供養護摩法要が厳修された。



運気や運勢、運命や宿命といった学問に否定的な方もいれば、逆に執着し過ぎて自らの心そのものを縛ってしまう方もいる。


どちらかに傾斜する白黒つけるような思考よりも、他を認めること、すなわち中庸(ちゅうよう)の心を育むことが健全なのではあるまいか




白の中に黒があり、黒の中に白が存在する。


誤解を恐れずに記すのならば、時代という列島を覆うが如く全体の天気予報の中に、個々である人それぞれの運気やその流れの如く各地域の詳細天気予報は、先達(せんだつ)が後世を生きる我々に遺してくれた未来への布石そのものではあるまいか


雨が降るかもと知れば、雨具などでそれに備えることができる。


それが大難を小難にという祈願であり、雨そのものをコントロールするという不敬な志ではない。


その時々に変化してしまう自らの我意により、己以外の他をコントロールしたいと目論むよりも、無意識を意識して自らをコントロールする完成なき発展という生き方は、完成から生じる崩壊という恐怖に怯える生き方とは無縁の境地だ。


なぜ己は報われぬのかと今の不運に嘆く者あらば、過去があるからこそ今があるという、抗うことのできぬ道理を冷静に観てみると良いのかもしれない。


不都合な今が過去となる未来は、やり方次第で変えることができるものだ。


それは、未来を起点とした過去である今を、どのように心がけて生きるかであろう。


何人(なんびと)も、一人などではない。


太陽や月の軌道であるお天道さんは、一人だと嘆いている者のことも必ず見ている。


八方塞がりとて、悲観する必要などはない。


上と下が、まるっきり空いておるではないか。


厳しい状況ゆえに、知恵というものが生じる。


不都合という難に感謝していると、その不都合は呆れて協力してくれるようになります。


ホンマですよ(笑)