禁じられた遊び
禁じられた遊び(1952年 フランス)は無力な幼女が戦争に翻弄される様を描き戦争の悲惨さを訴える反戦映画だと一般的には言われているが、私がこの映画を見て別の感想を抱いた。
これは反戦映画に見せかけつつ、本当のメッセージとして反ユダヤ主義を訴えている映画なのではないかという感想だ。
映画の内容
この映画はナチス・ドイツ軍の空襲の中逃げ回る親子三人を描くシーンで始まる。両親は爆弾を受け死亡してしまうが、5歳のポーレットは両親の腕に守られ生き残る。孤児となったポーレットが一人村を徘徊しているところに貧しい農村の少年ミッシェルと出会う。ミッシェルは両親のいないポーレットを家に連れて帰る。上等な衣服を着ていて、育ちも良い可愛い顔したポーレットに興味を抱いた一家はポーレットを引き取る事にした。
引き取られて数日後、ミッシェルがポーレットを教会に連れて行くと、ポーレットは十字架を指さし、「あれ、何?」とミッシェルに尋ねた。ミッシェルが十字架というものをポーレットに教えると、ポーレットは「あれが欲しい」と言う。そこから2人の禁じられた遊びが始まる。ミッシェルは民家や教会に入り、十字架を盗んでは2人の秘密の基地に隠してゆく。村では十字架が無くなって行く事が一大事件となり、最終的に2人の悪事がばれてしまう。そして十字架盗みの元凶となったポーレットは孤児院へ引き取られることになる。
感想
まず、5歳の子供が十字架を見て、「これ何?」と言った事から彼女はカトリック的な宗教教育を受けていない事がわかり、まずそこに違和感を感じた。なぜなら宗教が信仰の対象であるという概念が希薄になってしまった現在の日本の5歳児ですら宗教的な物に対する『畏れ』という概念を持っているのが普通だからだ。5歳児でも、仏壇に手を合わせるお祖父ちゃん、お婆ちゃんなどの姿や、仏様の出てくるような日本の昔話の絵本を通じ、宗教的な物に対する畏怖だったり畏敬の念は知らず知らずのうちに彼らの中にインプットされているものだ。
そう考えると、カトリック色の強い当時のフランス社会において、裕福な家庭、つまり文化的生活が十分可能な家庭で生まれたポーレットが十字架を見たことが無かったのは不自然な事だと思った。なのでポーレットが十字架を知らなかったのはカトリック文化に敢えて触れる必要が無かったからではないかと思えた。何故カトリック文化に触れる必要が無かったか、を考えるとポーレットがカトリック教徒で無いからだと想像される。
ポーレットのこの映画での役割は、ミッシェルを十字架盗みに駆り立てる、というものである。これは貧しいながらも善良なカトリック教徒(ミッシェル)をその教えから背く行為をさせたという事で、つまりポーレットは人を信仰から背けさせる事が出来たという事である。人々の信仰を妨げそして社会に悪や混乱を広げる存在とされヨーロッパや植民地時代のアメリカでは多くの女性が魔女とされ処刑された事実がある。ポーレットはミシェルに十字架盗みに駆り立て、村に混乱をもたらした。つまりポーレットはこの映画で魔女的な役割を担っているのだ。魔女という存在が信じられていた頃、魔女の疑いをかけられたのは精神に異常をきたした女や、異教徒の女だ。なのでポーレットは実は異教徒だったのではないかと思った。
この映画は異教徒の女がカトリック教徒を惑わし、社会を混乱させる物語だ。では何故このような映画描かなくてはならなかったのか。それは脚本家が宗教的・社会的な何らかの理由で異教徒を憎んでいたからではないか。ヨーロッパで憎まれる異教徒と言えばはやりユダヤ人だろう。ポーレットがまだ物心のつかない5歳児であるにも関わらず、村を混乱に陥れたという事から、異教徒(ユダヤ人)は意図せずとも存在だけで災いをもたらし得るというメッセージをこの映画で示しているのではないか。
そしてこの映画のラストでポーレットがカトリック教会の孤児院に引き取られるのだが、孤児となったポーレットは尼に姓を聞かれても、自分の姓を忘れてしまって答えられず、適当な姓を付けられてしまう。自分の姓を忘れた、つまりユダヤ人であるという自分の素性を忘れてしまったポーレットはこれからカトリック教徒のフランス人としてフランス社会に生きて行く事になる。その事から存在だけでも危険(と一部の過激論者に信じられている)彼女のユダヤの血はカトリック教徒の仮面をかぶりフランス社会に脈々と受け継がれ、広まって行く事が示唆されている。
この映画の監督ルネ・クレマンは自信の撮ったこの作品についてこんな事を言っている
「・・・・「禁じられた遊び」で私は子供たちの不幸の責任者である大人たちに告発している。こういうことが政治に参加することになるかどうか知らないが、少なくとも私が考えていることを表現することにはなるだろう」
そう、同氏は反戦主義のためこの映画を撮ったと言っている。だから私の反ユダヤ説は九割九分九厘外れだとわかる!
でも、人間の裏には何があるか分からない。
私の友達の旦那さんのおじいちゃんはロシアからメキシコへ移住して、自分で商売を始めて成功するとその土地に大きなカトリック教会を建てた。地元の成功者、カトリック信仰に熱い一族としてその土地で彼らは大そう尊敬されたそうだ。でも、実はその一家はユダヤ人だったのだ。移住してきた異邦人が成功をおさめ嫉妬されないため、そして何よりユダヤ人である事がバレないためにカトリック教会までたてたこの行動、さすがにすごいと思う。
人の裏には何があるか分からないので、もしかしたらルネ・クレマン監督は平和主義としての仮面を被った反ユダヤ主義の人だった、と言う事があってもおかしくはないと思う。