昨日ツェルニーのリトルピアニストを全曲弾き終えて、さあ次は100番だ!というタイミングで自分の100番の楽譜を発見しました。しかもピアノの上で

しばらく呆然とした後、やっぱり100番の楽譜があったという事実を喜びながら中身を確認しました。
ツェルニーの記憶が薄いというのは、何曲もやってきたのに残念な事です。
好きでも嫌いでもなく、ただ無心に練習していたのでしょう。
でも、記憶には残らないけどテクニック的な恩恵は受けているはずです。
少なくとも自分にとってはツェルニーはそういうものだったということでしょう。
ハノンをやっていればツェルニーは必要ない。本当にそうなのでしょうか?
できることならツェルニーもやっておいた方が良いでしょう。