昭和62年の統一地方選挙は、京都府議会議員と政令指定都市の京都市議会議員選挙の前半戦が終わると次に後半戦に入った。後半戦は期間が短いうえに、市町村会議員選挙では、ほとんどの自治体が選挙になる。自民党の公認を取って出馬されている候補者は限られていて大半が保守系無所属の候補者だった。その中でも野中系と言われる候補者は、京都府全体で300人近くおられた。その候補者全員に、陣中見舞いと祈必勝ビラを秘書が手分けして持っていくのである。選挙期間前に一通り候補者の自宅をまわり、選挙期間が始まって再度選挙事務所激励訪問というふうに私たちは動いた。なんせたくさんの人が立候補しているので野中系か、そうではないかなど私たちだけでは把握できない。そこで各地域の後援会の幹部の方に私たち秘書に「こちらにいけ、あそこもそう」などと指示をしてもらって一緒にまわってもらうのである。

前半戦の府市会議員選挙のように、単独の選挙事務所になっている候補者の事務所は、ほとんどなく候補者の自宅が選挙事務所になっている。そちらに訪ねていくと、たいがいのところが縁側から上がって大広間の畳の間に、30人ぐらい座れるようにちゃぶ台が配置されており、台の上には、食事用のおかずがいっぱい並べてられている。どちらの候補者も自宅がそのような配置になっていた。また、常に近所の人であろう方が数十人来られて食事をしながら談笑されている。私たちは、到着すると「皆様お世話になっております。野中広務事務所です。野中からの激励文を持って参りました。」と大きな声で挨拶をしてその中に入っていった。すると集まってられる方が一斉に私たちのほうを向いて拍手をされる。お手伝いに来られている方が、「どうぞこちらに座って食べてください。ご飯を持ってきますから。どうぞ、どうぞ。」と促されて空いているところに案内される。そうしてご飯が持ってこられ、「ありがとうございます。美味しいそうですね。いただきます。」と言って
食事をさせてもらう。そうこうしているうちに、候補者が襷をかけて戻ってこられたりする。各候補者の自宅兼選挙事務所に行くとそんな具合の状況だった。また、「何処どこで既に食事をいただきましたので大丈夫です。」などとお腹いっぱいだったとしても絶対に言えない。そのようなことを言ってしまうと「野中事務所は、誰々候補のところに肩入れしているな。」と思われる可能性もあり、全く食べていないフリをしてお腹が空いていて美味しそうに食べているように細心の注意をしないといけない。
統一地方選後半戦の選挙期間中は、各候補者の選挙事務所に激励訪問に行くと、一日に、だいたい、昼は2食、夜は3食ぐらい食べる覚悟で行っていた。このようなことから、今でも私は、昼2食、夜2食ぐらいは、平然と食べてないような顔をして食べることが出来る。

食事を選挙事務所で出すというのは、公職選挙法違反だったのだが、この頃は、どちらの候補者もやっていたので取り締まりも大目に見られていたのだろう。各陣営もどこどこの候補者の選挙事務所が、今日は、どんな食べ物が出ているか。などの情報を取っていて違うメニューが出されていたので、どちらに訪問しても違うものが食べられた。また、選挙期間中どこの陣営が述べ何食出ているかを計算することでだいたいの得票数がよめるような状態だった。今から思うと統一地方選挙後半戦は、私たち秘書は、食べることとの戦いだった。

また、投票日の夜は、秘書が手分けして当選祝いにまわるのだが、私が担当したのは京都府南部の地域で20候補ぐらいに祝辞とお酒を届ける役目だったが、携帯やスマホもない時代なので、各地域の後援会の幹部の家に公衆電話から1時間ごとに連絡を入れて役場が発表する当落情報を取ってもらい。早く結果が出た地域から当選祝いを持ってまわった。この時、私が今でも思い出すのは、車を走らせていると雨がしとしと降ってきて街路灯もない寂しい山道に迷い込んでしまいなかなか一般道に出られなくなり遭難するんじゃないかと不安になったことである。今は、スマホもあるし、ナビもついているので迷うこともなくなり便利になったが、この頃は、地図と住宅地図を持って担当している地域の当選した候補者の自宅まで真夜中の道を昼間と全く違う光景なので迷いながらもまわれたのは、我ながらよくやっていたなと今更ながら思う。

統一地方選挙で前半戦、後半戦とこのようにして各候補者と野中事務所の関係を強固にしていくのも一にも二にも、いつ行われるかわからない衆議院議員選挙に向けて勝ち抜いていくための地盤を固める重要な活動であった。