衆議院議員選挙が公示された当日、私は、まだ23歳になったばかりなのに、身体は既に寝不足と疲れで限界になっていた。自分でも何をやっているのかわからない状態だった。
朝一番で立候補の届出が済むと届出順の番号が発表され、各市町村の後援会の幹部に電話で番号を伝えて公営掲示板にポスターを貼ってもらう。発表されて各掲示板に1時間以内に一気に貼ることが出来るというか?というので陣営の強さがわかる。どれだけ後援会組織がしっかりしているか、というのがこの初日で試される。
ポスターの掲示板の番号の連絡が済んで一息ついたところに、いきなり問題が起こった。候補者付きの方から連絡が入ったらしい。
 京都は、公示日当日は、各候補者が二条城の駐車場に集まって選挙車をつけて、マスコミ向けに揃い踏みをして記念撮影をするのが慣例であった。
当然その場では、選挙戦が始まっているので、各陣営の選挙車がマイクを持ってやり合って勢いをつけて競い合うのだが、どうもこちらのウグイス嬢が経験不足で共産党の陣営の迫力に怖気て、黙ってしまったようだった。ここ1番気勢を上げてやらないといけないところを挫かれたかたちになり、マスコミや各陣営のサクラで動員された人たちの前で我が陣営としては、最悪のスタートになった。それを野中先生が見かねてウグイス嬢からマイクを取って自らアナウンスし出したようである。怖じけたウグイス嬢は、今回が選挙は初めてのようで、その場で選挙車から降ろされて事務所に戻ってきた。ウグイス嬢のいない状態で初日から選挙車を走らせていた。また、街宣日程もガタガタで予定の時間通りに行かず、候補者付きの人から「先生が怒って街宣日程組み直せ!と言われてます。」と連絡が入った。夜の個人演説会も公営施設が初日は使用できないので、箱自体がお寺の本堂などの小さいところになるから盛り上がっているような感じにならない。終日ガタガタで最先の悪い初日になった。個人演説会が終わり、野中先生から選挙対策事務局長をしていた後援会連合会事務局長の二之湯智さん(のち前参議院議員、元国家公安委員長)に、激怒の連絡が入ったらしい。
 急遽23時過ぎから事務局のメンバーが招集されて選対会議が開かれた。余談になるが、衆議院議員選挙になると当選挙区の京都2区というのは、人口約140万人ぐらいの選挙区で、選挙事務所も大所帯になり、選対本部長を頂点に、事務長、事務局長、総務部、街宣部、企業団体対策部、個人演説部、ハガキポスター部、電話対策部、渉外部、各後援会、候補者付きとちょっとした企業のように各担当に分かれて作戦を立て連携して選挙を動かしていく。この頃は、期日前投票という制度も今のような簡単な感じではなく、それぞれが投票日を目指して与えられた任務を責任を持って勝利に向けてフル稼働でやり切っていくというのが選挙事務所のメンバーである。
ちょっと前おきが長くなったが、選挙事務所のメンバーが会議用に並べられた長机についた。
上座の真ん中の席に二之湯さんがイライラした顔で座り、いきなり私に向かって「君などういうつもりでこの選挙やってるんや!選挙になってないやないか!こんなんでやっていけるとおもてるんか!みんな選挙終わったら首になるぞ!首に!」と怒鳴られた。私がやり玉に上がるとは思ってなかったので、返す言葉がなかった。みんな黙っていた。さらに「ウグイス嬢どんなんを入れたんや!代議士無茶苦茶怒っているぞ!こんな選挙あらへんやろ!1から組み直せ!」と私に向かって二之湯さんが怒った。この選対会議が凄く長い時間に思えたと同時に、私は、「この選挙終わったら俺は秘書首になるな。せっかく事務所に入れたけどこれでは続かないわ。」と秘書の世界は厳しいと感じた第一段だった。しかし、私は、選挙が始まるみで雑用ばかりをしていて、街宣日程や個人演説会がどのような行程になっているか。また、ウグイス嬢や運動員のシフトがどうなっているかまで、チェック出来ていなかったし、口出しできるような立場でもなかった。二之湯さんも私が全てをやっているとは思ってもいなかったとは思うが、次の年の統一地方選挙で京都市の市議会議員選挙に出る予定をしているので、何とかこの選挙を勝ち取って自分の駒を進めるためには、やり切らないといけないという思いから野中先生の逆鱗には触れたくなかったと思う。選挙を手伝ってもらっているメンバーを怒ることも出来ず、一番下の私を怒鳴り上げることによって引き締めたと思われる。選対会議はもう一度1から行程を組み直すのとウグイス嬢のシフトを考えることになった。11市33町村ある選挙区を隈なくまわるには、細心の注意をして各地域に公平な時間配分をすること。また、梅雨時で候補者や選挙車に乗り込む人などの雨対策や蒸し暑さなどで体調を崩さないようにシフトすることなどを担当が集まって話し合いをしたが、選挙区が広いのでどうしても夜中の無理な移動をしないといけないのと当初組んだウグイス嬢予定では、ウグイス嬢が足りなくなってくる。既に夜中の1時を過ぎていたが、ベテランのウグイス嬢に思い切って電話をした。
するとベテランのウグイス嬢から「別に一日中選挙車に乗っても大丈夫。」という返事をもらって一安心した。私が街宣の担当と個人演説会の担当と話し合って行程とウグイス嬢のシフトを組み替えて選挙期間中盤までの予定を立てた。この予定を2日目の朝一番で各後援会に後援会担当秘書から連絡してもらうのと、第1秘書から各府市会議員に連絡してもらえば当面は凌ぐことが出来る。
すると2日目から少し余裕が出来るので、個人演説会などの動員や電話対策、ハガキ、ビラなどの対策が出来る。ようやく初日を終えるのは、明け方の4時ぐらいまでかかった。