地下鉄第3号線の花園町駅で降りました。
旧ユリから数えて、花園町駅は何度も取材していますね。
昭和17年5月15日、大国町から延伸開業です。
住之江公園駅延伸50周年記念に貼られた、市電時代からの「ひげ文字」ですよ。
『欲しがりません勝つまでは』の戦時中とあって、鉄筋コンクリートを省略した無筋アーチの花崗岩積みトンネルです。
あの時代を、現政権も再び目指しとるな🌁
(画像は大阪市高速電気軌道Webより無断転載)
大国町駅を発車すると、暫くは上下線の間に柱が立っていて、これは第1号線の天王寺延伸の昭和13年に、合わせて先行で建設です。
関西線の交差部分までは、第1号線との複々線となりますね。
そして、無筋アーチのトンネルに差し掛かります。
開業当時の大国町駅では、既に第3号線の線路が敷設されています。
(画像は大阪市高速電気軌道Webより無断転載)
開業当時の花園町駅です。
(画像は大阪市高速電気軌道Webより無断転載)
壁面のタイル張りは、昭和17年なのかは裏付けが取れないです。
開業当時は1両の単行運転ながら、ホームは8両運転に対応が、大阪地下鉄の思想ですが。
花園町駅を足繁く取材は、戦時中に開業したところに引かれるようです。
この時代、資材と労働力不足を克服しての建設で、山電の須磨浦公園に通じます。
風雨に晒されない地下空間では、戦時中のコンクリート構築が良好な状態です。
乗車位置目標の痕が残っています。
かつての出札口に、券売機が設置されています。
黒い御影石が、戦時中にしては豪華ですね。
蹴込みのタイル張りと合わせ、負け戦になる前が伝わります。
現在と比べて台座が低いですね。
塗り重ねられた塗料が欠落して、鋼鉄の地肌が見えます。
花園町駅開業から14年後の昭和31年、岸里駅まで延伸となりました。
戦時中に工事が完成の区間は、無筋アーチのトンネルが見られますよ。
これは、第1号線の天王寺・昭和町にも見られますね。
(画像は大阪市高速電気軌道Webより無断転載)
花園町駅の取材は「前座」で、このあと鶴見橋商店街を取材しました。













