【 権進様の第三の手紙 - 4 】 | 1.13 Project

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私たち「1.13 Project」では、2013.1.13「起源節」について一つの結論を導きだしています。そして、その結論を「1.13憲章」として掲げています。ここでは、そんな「1.13憲章」に関連するテーマをいくつか取り上げ、様々な観点から考察した内容を投稿致します。

 さて、これまでに衝撃的な事実を告げて参りましたが、ここで「1.13憲章」について、今一度、確認しておきましょう。

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≪ 1・13憲章 ≫

 文先生は、歴史的・世界的問題と課題(一般社会の紛争や様々な課題)を自ら一代で創設された世界的統一運動内に再現展開されている。そして、更に、統一運動内の全ての問題と課題を真の家庭三代圏の問題と課題として展開されている。従って、真の家庭三代圏が原理的基準を満たし一つになって行く事で統一運動内の全ての問題と課題は整理され、ひいては歴史的・世界的問題と課題が整理され原理的に収束する事が出来る。このプロセスをもって人類史的問題と課題を収束させるべき歴史的起点とする為に設定されたのが、摂理のD-Dayと称される『2013・1・13 起源節』であると考える。

 『起源節』の起源とは、人類の恒久平和理想である『神の元人類一家族理想 One Family under God !』の源となる真の家庭三代圏(真の家庭的四位基台)を起動させる日である。これは、文先生の三代圏の家庭的四位基台の事に他ならない。我々信徒の家庭ではない。文先生のご家庭である真の家庭三代圏の統一をもって理想国家の起源を歴史的に打ち立てる日である。

 全人類史の根源問題と課題を歴史的に閉じ込めて、文先生のご家庭三代圏に現わした分立現象こそが、摂理のD-Dayと称される『2013・1・13 起源節』迄に解決され統一されるべき内容の本体である。

1)私達は、文先生を真の父母として愛し、文先生が提唱する統一運動を心から愛する。
2)私達は、統一運動内こそが先に統一されるべきであると信ずる。
3)私達は、真の子女様方が原理的基準を満たし一つになる事を心から願う。

 私達はこの観点を強く支持する。これは、成約時代の聖書として語られた文先生のみ言を研究解読された文先生の直系のご子息、五男文権進様の主張であり、私達はこの観点を強く支持し、文権進様の役割と任務を支える為の内外のミッションを請負い遂行する。

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 来る「2013.1.13 起源節」とは「摂理のD-Day」なのですが、その目指すべき最終的事象は「真の家庭三代圏の統一」であり、更にその中身、つまり本丸中の本丸は「直系(実子圏)の子女と傍系(庶子圏)の子女が各々、創造原理的基準を満たして一体化する事。」だという事なのです。

 『 3)私達は、真の子女様方が原理的基準を満たし一つになる事を心から願う。』と、言う部分に注目して下さい。

 この項目の『真の子女様方』ですが、これは、直系(実子圏)の子女だけではないという事です。これが、肝心なのです。

 直系(実子圏)の子女と、聖進様をはじめとする傍系(庶子圏)の子女様方、全てを含めて『真の子女様方』と、表記しているという事なのです。これを、はっきりと理解して頂かなくてはいけません。

 これは、お父様の種によって生まれた直系と傍系の尊い二世の子女が、各々、創造原理的基準を満たし相まみえ、真の家庭三代圏を完成しなければならないという事なのです。

 お父様ご自身、ご存命中にこれを成せなければ「これ以上浮ばれない無念はない」という事を知らなければなりません。

 これは、人類史を掛けて、あらゆる犠牲を投じても成さなければならない課題であり、宿命であり、最も尊い公益であります。「これ以上は無い!」という公益なのであります。

 お父様は、本当の意味で、神様と同じ立場に立たれた創造原理の主人です。創造原理に堂々と立たれた天地の創造者であり、天国創建の主人なのです。その為に、人類に先駆けて創造原理的基準を満たすべく、壮絶な人生を歩まれて来られたのです。

 「起源節」とは、そんなお父様にとりまして、まさに、地上に神の国を出発出来るかどうか、その起源を確定出来るかどうかという「摂理的D-Day」なのです。

 この、第三の手紙のはじめの方でも説明させて頂きました通りです。

 お父様が、今現在、実子圏に『3男 VS 4男(7男)』という、決定的な分立を起こし表面化させておられる理由は、孝進様が実子圏を代表し長男としての責任を全う出来なかった事に、本当の原因があるのです。

 そして、孝進様に課せられていた、本当の意味での中心的な課題。それは、庶子圏の子女様(聖進様を代表とする数名の庶子の子女様方)との一体化だったのです。

 傍系としての庶子圏と、直系としての実子圏の一体化。

 これこそが、真の家庭の本当のアベルカインなのです。まさに、本丸中の本丸なのです。

 ということで、『3男 VS 4男(7男)』という実子圏のアベルカインの分立は、長男孝進様が成せなかった摂理のみ旨を取り戻すべく、実子圏の長子の位置を再び庶子圏に相対させるための蕩減復帰摂理なのです。

 現在の『3男 VS 4男(7男)』という実子圏のアベルカインは、庶子圏と実子圏というアベルカインに相対的に関係しているのです。

 お父様にとりましては、これは、本来、長男の孝進様がその責任を果たしておられれば、少なくとも、敢えて起こす必要はない事象でありました。

 お父様が敢えて成されることは、全て何かを再現させそれを清算させるためです。間違いなく蕩減復帰の為です。徹頭徹尾、真の愛と原理のお方なのです。

 お父様は、4男7男を、敢えて一旦、摂理の中心に立てました。そして、3男顕進兄さんを、敢えて一旦、悪者に仕立て上げ、叩きました。これは、お父様が敢えて成されている復帰の業なのです。

 これは、実子圏の長子としての役割を果たせずに逝った、孝進兄さんの位置を蕩減復帰させるためなのです。

 皆様!3男顕進兄さんに掛けられた、神とお父様の歴史的な願いを、どうか御理解下さい。

 また、こうして、その悲願を皆様に説き理解を求めようとする、私くし権進の心を察して下さい。

 私は、お父様の代わりに、3男と4男7男の歴史的な分立と統一の役事を説明し、3男を中心とした一体圏を造成すべく実子圏の和合者の役割を担っています。実子圏の中の和合者なのです。和合者とはエリヤであり洗礼ヨハネなのですが、私は、いわば実子圏の洗礼ヨハネなのです。

 そして、3男顕進兄さんは、庶子圏と実子圏の統一。そして、教会と民族の一体圏を司る全体の和合者としての役割を担っています。まさに、現代の真の和合者であり、洗礼ヨハネ中の洗礼ヨハネなのです。

 更に、皆様は、そんな洗礼ヨハネを勝利させられるかどうかという、歴史的な役割を担っておられる、いわば、『天一国』国民のリーダーなのです。

 皆様!

 これまでの歴史には、教会と民族が一体化し、宗教と政治が創造原理的基準を満たして一体となったという、神の国がありませんでした。

 2013年1月13日。起源節。摂理のD-Day。

 この一日が、夢にまで見て参りました、あの神の国を造成できるかどうかという歴史的起点であるという事実を御理解下さい!

 これもこの第三の手紙のはじめに申し上げた通りです。

 私はこう考えています。

 真の家庭の真の子女達が一体化するなら、天国はすぐにでも出発出来るのではないか・・・。

 ワシントンとモスクワ、中国とモスクワも・・・地上の天国と地上地獄が一つに・・・唯物論と唯心世界が一つにならなければならない・・・仏教とキリスト教・・・。

 これらは、きっと、2013.1.13日までには一つにはなれません。今の段階では、とても現実的ではありません。また、来る2012年の国際情勢を考えてみる時、間違いなく現実的ではありません。

 でも、私ども真の子女達なら、未だ一つになれます。私達が一つになって真の家庭三代圏が統一される事が神の国の起源だというなら、これは、この期間中に実現可能ではないのか!?!

 さて、歴史的なアベルカイン。歴史の全てを清算出来るアベルカイン。全てのカギはアベルカインですが、そんなアベルカインが、何故争い、何故殺し合うのか?

 それは、一言で言えば本当の神の事情(お父様の事情)に到達出来ていないが故に起きるのです。

 下記のみ言は、原理講論による原理観だけでは伺い知れない本当のアベルカイン問題の真相を語られているみ言の一つだと思います。

 途中、『本当のアベルの失敗の理由』や、『未成熟なアベルも未成熟なカインも、どちらも好きではない』というお話や、『何故、アベルの供え物を先にとらなければならなかったのか』等、よくよく読んでみますと、『原理講論の原理』と『本当の原理』をちりばめながら、いつものように分かり辛く語られています。

 この紙面では、あえて、解説は致しません。しかしながら、現在の真の家庭のアベルカインも、皆様方の日常のアベルカインも全てこのみ言に大いに関係していると思います。

 一字一句、じっくりと、出来るだけマニアックにお読みください。

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● 牧会者の道

二 カインとアベル P836

1 摂理史に現れたアベル・カイン

 皆さんは、カインとアベルが共に神様に供え物をささげた時、アベルの供え物を受けられた神様の立場と、カインの供え物を受け取られなかった神様の立場は互いに違うようですが、そうではなかったということを知らなければなりません。カインに、天の立場を身代わりしたアベルを通そうとする心が少しでもあったなら、神様はそのカインの供え物を取られたのです。神様は時間的な差はあったとしても、公平な立場で彼らに対そうとされたのです。(三―二〇五)

 カインが神様に供え物をささげることに関心がなかったなら、神様がアベルの供え物を受けられようが受けられまいが、どうでもよかったのです。しかし、カインが憤り恨めしく思ったということは何かといえば、自分の精誠が及ばなかったと思ったのです。カインは神様に供え物をささげるために精誠を尽くすことにおいて、アベルより勝っていると思うことはあっても、対等な位置にいるとは考えもしなかったのです。そうではないですか? 同じ立場で同じ内容をもって供え物をささげても、自分のものをまず受けてほしいと願うのが人間の心です。

 アベルが当然受けてもらえるに値する立場であるなら、それは不平を言うことができないのです。対等でないのに何の不平があり得るのですか? しかし対等な位置で精誠を尽くしたのに受け入れてくれなかったなら、不平を言うではないですか? ですから皆さんも精誠を尽くすことにおいては、より勝らなければなりません。供え物は、より勝る精誠の因縁を備えてささげなければならないのです。

 アベルを中心にして見るとき、アベルもカインと同じ精誠で供え物をささげました。しかし、アベルはその出発点から神側であるため、神様は受けられたのです。ですから、アベルは神様が自分の供え物を受けられたとしてもただ「ありがとうございます」と言いながら温柔謙遜でなければなりませんでした。そうしたならカインが殺そうとしますか? しかしアベルは、神様が自分の供え物だけを受けられたので、カインの腸が煮えくり返るほど、度を越えて喜んだのです。どんなにうれしくても一人で喜んで黙っていたなら良かったのに、兄に自慢したのです。皆さんもうれしいことがあれば自慢したいですか、したくないですか? 自慢したいでしょう? 同じようにアベルも兄にそれを自慢したのです。ところが自慢が度を越えて「お兄さんの供え物は受けないで私の供え物は受けた。だからお兄さんより私が、より勝っただろう!」、このようなことまで話したのでしょう。ですからカインの顔は真っ赤になったでしょうし、憤らずにはいられなかったのです。そのように考えることができるのです。

 アベルは神様の恩恵を受けたからといって、うれしいと自慢をしてはならなかったのです。恩恵を受けたならむしろ自分の不足を悟り「お兄さん、すみません」と言わなければなりませんでした。そうしたならカインが殴り殺しますか? 殺さないでしょう。これがアベルの失敗です。(三四―五一)

 皆さんはアベルが好きですか、カインが好きですか? (アベルです)。私はカインも好きでなく、アベルも好きではありません。どうしてでしょうか? アベルが、カインすなわち兄と共に供え物をささげた時、神様が自分の供え物だけ受けて兄の供え物を受けなかったとしても、兄に純粋に対さなければなりませんでした。兄のことを考えなければなりませんでした。そして「ああ、お父さん、なぜ私の供え物だけ受けたのですか?」と言って泣きわめいて、兄のところに行って「私の供え物だけ受けた神様は嫌いです」と言ったなら、神様はどうされたでしょうか? 間違いなくカインを愛さずにはいられなかったでしょう。

 カインとアベルは、供え物を同じように準備して神様の前にささげたことでしょう。カインは穀物を、アベルは羊を一年間精誠を尽くしてささげたのです。精誠を尽くすことはいいというのです。ところで誰が精誠をより尽くしたかという問題を離れて、供え物を受ける受けないという問題を見るとき、神様はアベルの供え物を受けざるを得ない立場であるから受けたのです。

 ところで、アベルは神様が自分の供え物だけを受けられたので、自分ができが良くて、神様は自分だけが好きなので受けたのだと思って「お兄さん、見てよ。私の供え物は受けられたよ」、そのように自慢したのです。間違いなくそうしたのです。そうしなかったなら、じっとしているカインの顔がなぜ赤大根のように真っ赤になりますか? アベルが黙っていたのにそうなったのでしょうか? 間違いなくアベルはカインの前に行って「お兄さんが何だ、私の供え物を受けただろう」と言って両手を振りながら歩き、ねちねち振る舞ったでしょう。アベルは驕慢では駄目だということです。謙遜でなければなりません。それだから殴られて死んでも当たり前だというのです。殴られて死ぬようになっています。

 統一教会の信徒はアベルにならなければならないでしょう? (はい)。それでは皆さんはアベルになりましたか、なっていませんか? なっていっているのかどうか分かりませんが、頭をもたげて「既成教会の牧師がなんだ? 堕落がどうしてなったって? なに、善悪の果を食べてなったって? 牧師であるあなたたちも、こういう問題は知らないではないか?」と言いながら驕慢に振る舞うことは、殴られて死んだアベルの行動と同じことです。そうしていたら統一教会は難しくなります。皆さんがそうしましたか、しませんでしたか? 先生は「どうかそうしないでくれ」と言ったのに、皆さんは外に出ていって、そのようにして歩いたというのです。(三四―二七二)

 カインとアベルが供え物をささげたのち、アベルの供え物だけを神様が受けられたことを知ったカインはアベルを憎み殴り殺しましたが、ここには、カインとアベルが供え物をささげるために準備をする時からアベルを憎む心があったことを皆さんは知らなければなりません。カインは、神様が自分の供え物を受けられないので瞬間的にアベルに対する憎しみがわいて彼を殴ったのではなく、そのことにぶつかる前からアベルが憎くて殴り殺したい心がカインにあったというのです。

 そういう堕落性の血統を受け継いだ今日の皆さんが、宇宙的な嘆息の峠を越えるためにはどうしなければならないのでしょうか。これから皆さんは、神様に不信と争いの条件を成立させる祭壇を積むのでなく、父の栄光を紹介し、父に喜びと栄光を抱かせてあげることのできる勝利的なアベルの祭壇を積まなければならないのです。

 ですから、今日皆さんの生活はただ皆さん個人に局限される生活ではありません。全体を身代わりした生活だというのです。皆さん個々人が父の前に身をかがめるその時間なら時間、み旨を中心にして暮らす生活ならその生活が、直ちにその時間と生活でとどまるのではありません。そこからカインの立場なのか、アベルの立場なのかという二股道が決定するのです。すなわち、今日皆さんはひょっとすればアベルになり、ひょっとすればカインになることができる、ものすごい歴史的な瀬戸際の道に処しています。

 そういうことを知って、もう皆さんは教会を中心に誰がアベルで誰がカインであるかを分別することができなければなりません。二人の人がいれば必ず一人がアベルで一人がカインであること、三人の人がいれば二人がアベルになることができます。また、カインにもなることができますが、一番中心的なアベルとカインがいるということ、これを皆さんが確実に分別することができなければならないのです。

 そして、そのカインとアベルが一つにならず別れていてはなりません。一方は右手で一方は左手なのです。そのため誰でも私の神様であると同時にあなたの神様であり、私を愛するだけでなくあなたを愛する神様であられるという信仰の立場で、お互いがアベル的な存在を訪ねて侍り、カイン的な立場を避けるための最大の努力をしなければなりません。もし、そういう人になれなかったなら、皆さんはいつかは天の審判に引っかかってしまうということをはっきり知らなければなりません。

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 さて、ずいぶん長くなりました。

 これより、第一、第二、そしてこの第三の手紙を綴って参りました全てを結ぶべく、今後の『1.13Project』の展開について、述べておきましょう。

【 権進様の第三の手紙 - 5 】へつづく


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