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昨年の12月22日付けで「権進様の第一の手紙」に対する公文が発布されました。皆様におかれましては、既に全文を御承知の事と存じます。未だお読みになっていない方は、「権進様の手紙に対するUC本部公文」を一読下さいませ。
さて公文は、冒頭から「松山貢三氏」が流布している・・・という具合に解説が進められていますので「権進様の第一の手紙」は「松山貢三氏」が窓口になって流布されているかのような印象を与えています。
また先回、この公文に関するエントリーで述べた通りですが、この公文の骨子は「権進様の手紙は、分派、禹グループ、A氏派等の偽計による怪文書である」というものです。
つまり、松山氏が窓口。そして背後にはA氏。そして、この両者が連携し怪文書が流布されたのだという説明になっている訳です。本部の認識は、どこまでも松山氏とA氏は一体不可分、あるいは分派A氏の出先機関としての位置付けの様です。
本ブログのエントリー「はじめまして-2~3」について一読いただければ理解して頂けるかと存じますが「権進様の手紙」の窓口は正真正銘、私ども「1.13 Project」であります。
松山氏にはどのタイミングで誰から渡されたのかはここでは明らかに致しませんが、松山氏が窓口でもありませんし、ましてやA氏でもありません。本部の認識は違いまして、少なくとも今回に限っては少し早とちりをされたのではないかと思います。
私どもからすれば、松山氏やA氏には、結果としてご迷惑をおかけする事になってしまいました。
それで、特に松山氏に渡った経路を調査致しまして、直接お会いし、公文によって如何なる影響を受けられているものなのかその状況を確認させて頂きました。また「結果としてご迷惑をおかけしました」と、その心労の幾分かを分かち合って参りました。
松山氏は「権進様の第一の手紙」に卒直に感銘されまして、早速、霊の子を中心として交友関係者十数名に配布されたそうです。
しかしながら「第4次イスラエル研究会」の立ち上げがA氏との関係において成されたと知る方ばかりであった事も手伝ってか、今回の「権進様の手紙」についてもその流れだと警戒されているようです。
今のところ、配布された方々からは余り良い反応を頂けていないとの事でした。
つまり、2010年初頭には「第4次イスラエル研究会」を解散しそれ以来、A氏等との関係は一切ないという認識は氏の意図とは反し、その取り巻きの関係各位に十分伝わっていなかったようです。この認識は、多聞に漏れず本部も同じだったようです。
そんなおり、今回の公文が発布されたのですから、配布した方々が公文を読まれたとするならばなお一層のこと公文を信じ、松山氏の卒直で一途な思いは届けられなかったということです。
松山氏は現在、少なくとも「第4次イスラエル研究会」のたち上げとその活動は本部に対して配慮に欠けていたとの自戒の念を持たれていまして、今回の「権進様の手紙」については筋を通すべきと考えられ、下記の手紙を梶栗会長宛てに送られたという事です。
未だ、会長及び本部からお返事は頂いていないという事ですが、松山氏の了解を得ましたので全文を紹介させて頂きたいと思います。これは、会長宛てつまり本部宛に釈明と謝罪の気持ちを綴ったものであり、同時に「権進様の手紙」に対する希望を日本統一教会トップに働きかけたものとしての証拠であります。
この梶栗会長宛ての松山氏の手紙を一読頂ければ、事の真相がうかがい知れるのではないかと思います。是非とも、最後まで一読下さいます様お願い申し上げます。
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尊敬する梶栗先生へ
その後、体調はいかがですか?日本統一教会の運命と『2013・1・13 起源節』の勝利に向かって、命がけで重責を担われる梶栗先生に心から感謝申し上げます。
これは、私の個人的な考えかも知れませんが、ここ2年、日本統一教会が守られて来たのは、梶栗先生の天の前に垂直に立たれる梶栗先生の信仰と忠節と勝共活動の実績と人徳によるところがあっての事だと信じています。
体調が芳しくないと聞き及んでいますが、それでも今を託さざるを得ず期待せざるを得ない神様と真のご父母様の願いが梶栗先生にあるわけですから、本当に申し訳ありませんが、今後も頑張って下さいますよう心から願っています。
さて、こうしてお手紙をしたためていますのは他でもありません。
年末、2010年12月22日付けで発布されました公文「世 10-688-03 号」についてです。題目は「権進様の手紙と称する怪文書についての注意」というものでした。公文の内容についてはすでに梶栗先生もご承知の事と思います。
問題は、この公文に記された内容が大きく違っていまして、全くもって事実ではありません。できれば、ご多忙の事とは存じますが、公務の合間を頂きまして、直接、ご報告、相談させていただける機会を作って下されば幸いでございます。
私の意図とは反してお騒がせしてしまい、公文まで発布させてしまった事実に関しましては、私の不徳の致すところで本当に申し訳ありません。この場をお借りして心から御詫び申し上げます。
さて、この度の公文の内容で間違いない事実が一つだけあります。それは、私の霊の子や親しい信仰の友、数名に権進様の手紙を送ったという事です。
私は「権進様の手紙」を2010年の11月中旬に思いがけない方から受け取りました。何度も何度も読み返して、その内容に深く感銘致し、霊の子や親しい信仰の友など12名ほどに送りました。
これは、間違いのない事実です。公文には冒頭にその事実が以下の様に記載されています。「昨今、松山貢三氏が郵送する書簡に同封された『権進様の手紙』と称する怪文書が出回っており、……。」という具合です。
しかしながらそれ以降に記載されています内容は全くもって事実ではなく、私には予想も出来ないストーリーが展開されています。その事を釈明させて頂きたいので一読下さいます様お願い致します。
公文の骨子は、私、松山と分派活動をしているA氏が連携し権進様の手紙を流布しているというもので、この怪文書はA氏による偽計であるというところが、ポイントであります。しかし、真実、私とA氏の連携は一切ありません。
これは、本部も少しばかり早とちりされたものだと思います。しかしながら、本部としては致し方のない判断だったとも思います。何故ならば、このように判断せざるを得ない事の発端は、2009年9月11日に第4イスラエル研究会を私が立ち上げた事によると思うからです。
B氏を通してお父様のみ言に触れ、本部教学部と彼等を結ぶ、仲立ちをしたいという考えから約1年余りの期間、精一杯、行動したのですが、双方に話し合いの余地がないということが分かりましたし、肝心の彼等自身も、紆余曲折を経て「もうこれ以上教会には働きかけない」という方針を打ち出しました。
それならば、私の仲介の役目は終わった!という事で第4イスラエル研究会を解散する事に致しました。この件については徒労に終ったとは思っていませんが、彼等の行方に配慮しつつ、また、本部や私の事を案じて下さる方々にこれ以上御迷惑をお掛けしてはいけないと思いまして解散し、ホームページも閉鎖致しました。それ以降、A氏との交流はその後は一切ありません。
従ってA氏と連携して「権進様の手紙」を流布しているという本部の認識は、事実と違います。本部が一方的に、未だに私とA氏が一つとなっているというふうに想定して、そのように判断しておられるだけの事です。事実無根なので、この事については余り気にしていません。
問題は公文の大半を占める権進様の手紙についてです。これは、分派A氏一派による偽計による怪文書であるという判断です。
実は公文が発布された直後の事です。A氏が突然、電話をしてまいりました。「松山先生、公文を見ましたか?本部はひどい。権進様の手紙を怪文書であると判断し、全く身に覚えがないのに、また、私の仕業であると言っています。どこまで、私が憎いのでしょう?私としては、これは権進様が書かれた手紙だと思う。」と言っていました。
梶栗先生!実は、私も本当にそう思います。この件に関しましては、私は当事者としてA氏が関係していないという真実を知りうる唯一の人間だと思います。今後の事を考えて梶栗先生には本当のところをご報告しておきます。
私はカイン・アベルの一体化を目指して彼らと約一年余りの期間、共に活動して来ましたから、彼らの事はよく知っています。彼らは、「もう統一教会とは関係を持ちたくない!これ以上、統一教会には働きかけない」と言って方向を転換したのです。ですから、権進様の手紙に関してA氏は、全く関わりたくないのです。
しかし、私はA氏とは違います。骨の髄まで「カイン・アベルの一体化」のみ言によって生かされて来ましたから、統一教会が分裂と闘争で破滅して欲しくありません。ご子女様の全ての家庭が真の愛で一つになって欲しいのです。ですから権進様の手紙に感動し、深い関心を持たざるを得ません。
権進様の手紙によると摂理はお父様のご家庭が一つになって、お父様を中心とした三代圏が一つになる日が「2013・1・13 起源節」であると・・。当然の事ですが、統一教会は終っていません。むしろ、これからが本番だとおっしゃっています。希望ですね!権進様は「これからが本当の統一運動である。真の御子女様が一つになるための分立と統一が始まった。必ず勝利出来る」とおっしゃっているのです。
正直に申し上げます。誰が何と言おうと、私は、権進様の主張に大賛成です。
結論として繰り返します。「権進様の手紙」の内容はA氏のものではありません。私が思うに、A氏は、むしろ「権進様の手紙」が第四のメンバーに拡がることを快く思っていない筈です。何故ならば統一教会とは、もう一切関わりたくないA氏だからです。
梶栗先生!是非、お願いがあります。権進様が提唱する解決案を全て読んで見て下さい。この件で早いうちに、一度、お時間を頂けないでしょうか?ご返事をお待ちしています。
私は、これまで本当にクソ真面目に生きて参りました。あまりにも愚直に生きて参りました。梶栗先生は私の生き様を、よくよくご存知の事と思います。この手紙に記しました内容は、嘘偽りのない真実の報告です。私は、今、この時の会長が梶栗先生である事に期待をせざるを得ません。お体をくれぐれもご無理をなさらずお過ごしくださいませ。 アージュ
2011年1月13日 松山貢三
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如何でしたでしょうか?
ちなみに、草創期からある程度の年代までの信徒の方々は「松山氏」を知らない方は殆どいらっしゃらないのではないでしょうか。
でも、2000年以降に教会に来られた比較的新しい信徒の方はよく知らない方のほうが多いのではないでしょうか?どうでしょうか?
そんな比較的新しい信徒の方の為に、このテーマの次回エントリーでは松山氏の簡単なプロフィールを紹介してみたいと思います。
私は、この度の経緯(公文の発布)がなければ松山氏と直接会う事は無かったと思います。結果オーライでした。
文先生を真の師、真の父、真の主人として生きるという事はこういう事なんだ…。ここまで立派に生きる事が可能なのだ…。これはもう、唯々驚嘆でありました。松山氏の人柄と実績、何よりもその背景と生き様を知る事により、改めて皆様方が愛する文先生の偉大さに触れる機会になったと思っています。
卒直に皆様に松山氏の人と成を知って頂きたいと思っていますし、何よりも、その『人物』に相見えた久々の私の感銘が伝われば幸いです。
という事で何処まで真実にお伝え出来るかは分かりませんが、このテーマの次回エントリーでは松山氏の人と成を紹介してみたいと思います。
松山氏のプローフィール につづく
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