スタッフ渡辺と美咲ちゃんの連日の働きにより、

教室の細々した物は粗方片付いてきました。

 

 

今日は、自宅の物置や納戸で、荷物と格闘していました。

 

 

どこの家でもそうでしょうが、

高齢者って、なんであんなにモノを溜め込むんでしょうね?

 

我が家の両親もまさにそうで、

古い使えそうもないモノが出てくる出てくる・・・・

 

 

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35年間ありがとうございました。

 

 

中学時代に、ほんのちょっと男子バスケ部のマネージャーを頼まれたことがあって、

経験者だというので、

高校に入学すると、また男子バスケ部からジャーマネを依頼されたことがあるんです。

 

バスケ部の男子たちは、

みんなでかい。

 

靴もでかい。

 

だからその当時、原町では靴が購入できなくて、

みんなのサイズを訊いて、発注するなんてこともありました。

 

 

小高工業高校や相馬高校に練習試合に行く時は

薬箱持参して、一緒に付いて行ったり・・・

短い期間でしたが、懐かしい思い出です。

 

 

そのバスケ部に、

浪江から通っていた1学年上の先輩がいました。

 

 

もう一人のマネージャーの女の子と、

「にいさま」と呼んで慕っていました。

 

 

口数が少なくて、

時々面白いことを口走るので、

私は妙に親近感を感じていました。

 

 

浪江のお家に遊びに行かせてもらったこともあります。

おばさんの作ってくださったお菓子、美味しかった思い出があります。

 

 

にいさまが結婚して、そのお子様たちの面倒をみた時期がありました。

本日は、卒業生の保護者でもあり、

親愛なるにいさまの奥様からの寄稿文です。

 

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松本 由美

にいさまの奥様。

 

 

番場先生
ご無沙汰しております。

知人から聞きました。
塾を閉めて南相馬を出られるとか。

 

最近のフェイスブックでの投稿を拝見して「ああ、やっぱりそうなんだ」と寂しく思っています。

 

でも先生のことだからきっと大丈夫!って

安心する気持ちもあり複雑な心境です。

 

思えば主人つながりで

娘たちがお世話になり

 

主人が亡くなってからも何かと私たちを気にかけてくださって本当に感謝しております。

 

先生は忘れてしまったかもしれませんが

主人が亡くなって間もない頃 

そっと玄関のドアにお花が掛けられていたことがありました。

 

 

本当に気遣いのできる方なんだな~と、

私もそうありたいと、そう思いますが未だに至りません😅

 

震災後

再会することができましたがなかなか先生のお役にたつことができず申し訳ない気持ちです。

 

そんな松本親子ですが、遠く離れてもどうか忘れないで下さいね。

 

お体を大切に。お元気で。
 

松本由美より

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にいさまは病気で亡くなりました。
お母様と一日違いで、お二人合同葬をされました。
 
 
新聞の訃報欄で名前を見つけたとき、
あまりに驚いて、
何度も見返したほどです。
 
 
なぜか、にいさまの誕生日は覚えているのに、
命日間近になると、雑用に追われてなぜか外すのです。
 
 
そんな私に、

「主人の誕生日を覚えていてくださってありがとうございます。
命日は忘れてもいいんです(笑)
そうやってふと思い出して頂けることが供養になります。」
 

と仰ってくださいます。

 

 

大学を選ぶとき、

ディスコ全盛期でしたから、遊び場が近い大学だけ受けました。

 

にいさまがあの大学に行っていなければ、

眼中になかったと思います。

そんな不純な高校時代。

 

私の好きな人の話も、

テストの点数も、

一番話せる先輩でした。