筋肉痛です。

驚いたことに!

 

 

面談のばんばは、

朝、教室への階段を上ると、

深夜に帰宅するまで、階段を下りることはなかったのですから、

自慢じゃないですが、ほとんど歩きません。

 

 

それが、ここ数週間、

自宅への荷物運びやゴミ出しなどで、

何度も上がったり下りたり・・・・

 

一生分くらいの活動量で、

身体が驚きを隠せない様子。

 

 

 

立ち上げた会社も解体しますので、

今日は、会社名義のカードも解約しました。

 

やることが本当にいっぱい。

まさかこんな展開になるなんて、思いもしませんでしたから

時間がなーい!と焦っています。

 

 

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35年間ありがとうございました。

 

Zくんとは、彼が南相馬を離れる少し前に出会ったように思います。

 

早稲田大の教育学部出てるのに、

こんなとこで何してんの?なんて失礼なこと言ったかも。

 

 

津波で1階部分が流失したけれど、

2階は残っているという瓦礫の中の一軒家を

家主からお借りして住みかとして

ボランティアしてくれていました。

 

津波の跡地に、幽霊が出るとか

人魂を見たとか、

噂が蔓延していた時期です。

 

 

電気も水道もない家で、

しかも幽霊騒動のさなか。

 

「怖くないの?」

って訊ねたら、

「平気です。」と答えていました。

 

 

嗅覚がいいのか、

よく私がご飯を作っているところに、

タイミングよく現れるので、

ご飯食べる?

なんて、炊きたてをよそってあげました。

 

 

ある土砂降りの雨の夜、

「車で送って行こうか?」と言った私に、

「明日自転車必要だし、合羽持っているので自転車で帰ります」

という彼の後ろを、ライトで照らしてあげながら、

追跡したこともあります。(←危ない人のよう)

 

 

土砂降りの中、

彼は自転車を走らせ、

二階に着いて、

ランタンで丸を描いたのがOKのサインで、

それを見届けて家路に着きました。

 

 

多種多彩な人材が、ボランティアに来てくれていました。

 

 

支援していて、

資格がないと!と考えた彼は、資格取得の為に都内に戻りました。

 

 

 

親でもないのに、

彼の年令を考えても

「3年だけね。それ以上時間費やすなら、他の道を探すこと」と言い渡して、あれから○年・・・・

 

たまに都内で待ちあわせして、近況報告を受けています。

 

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浪人中。

 

 

番場先生、35年間、お疲れさまでした。 

なんちゃってボランティアとして南相馬で活動する中、 

野馬追通り銘醸館で

番場先生と初めてお話をし仲良くなった後、 

何かと声をかけていただきました。

 

 

原ノ町駅前の教室で、 ご飯を御馳走になったり、

勉強場所として使わせてもらったり、 

とてもお世話になりました。 

 

 

自分の活動に、何か意味があるのかなど、

ボランティア活動に 行き詰まりを感じ、

自問自答して悩んでいたとき、 

 

 

思春期の若者と正面から向き合ってきた

番場先生ならではの アドバイス・サポートを通して、

自分の足場を確認することが できました。 

 

 

 

今でも思い出すのは、

 

僕が皆の中で厳しい状態に なっていた時に、

番場先生がその空気に反して、

 

毅然と、 

僕のことを認めてくれたことです。 

 

 

あれは、イベントの前で、秋ぐらいに、

みんなのたまり場で、 外者、内者たちが集まって歓談しているときでした。

 

番場先生は仕事を終えてから、遅れて参加されました。

 

 

あの中で僕は、イジラレキャラ・ダメキャラになってしまっていて、

遅れて参加した番場先生にも

そのことを場の流れで振ってきたんですが

(あーいうのは、冗談っぽく、面白おかしく、空気が作られます。)

 

 

番場先生は、

「そんなことない。Zはしっかりしてる。」みたいなことを即答してくれました。

 

すぐそのあと、一言二言また仲間内が反論して、

僕の欠点を上げ連ねたのですが、

番場先生は、繰り返し、僕を認める発言をしてくれました。 

 

 

僕は、子供の頃イジメられてたときのように、

あーいう空気の中でうまく立ち回れない性分なんですが、

何か救われた、助かった・・・とすごく安心しました。

 

 

僕にとっては忘れられない一瞬ですが、

多分、番場先生は思ってたことを、

場の空気に飲み込まれず、

ソンタクせずに発言しただけで、

番場先生にとっては普通のことで、

印象に残っていなくても不思議じゃないと思います。

 

 

でも僕にはとても印象深いひとこまでした。

 

 

番場先生と話していると、

僕のことをひとりの人間として 信頼してくれているのを

肌で感じることができます。

 

 

 

 いろいろな個性を持った人間とガチンコでぶつかって、

相手のことを考え抜いてきた懐の深さのようなものを

番場先生から感じています。 

 

 

 

波瀾万丈の35年間だったと思います。 

 

 

これからは新しいステージで番場先生がご活躍されることを 

心から期待し、信じています。

 

 

 将来、また番場先生とともに活動できるときを楽しみにしています。 

ありがとうございました。

 

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うん。

人間には、誰にでも悪いところも良いところもあって、

 

悪いばかりの人は居ないはず。

 

咄嗟に出た言葉で、

ごめん・・・私はその時のことを覚えていませんが、

こうはっきり言葉に出すから、

ファンも居てくれるけど、敵もいるんだろうなと思います。

 

 

彼をテレビ局が追って、

ある番組で取り上げてくれたので、

そのDVDをご実家のお母様に送って差し上げました。

 

親はいくつになっても、

息子は可愛いし、心配なはず。

 

案の定、

一体何をしているのかと、

心配でたまらなかったというお母様から、

想像以上にお喜びのお礼の言葉が届きました。

 

 

で、彼は、

約束の3年が過ぎ、

まだ資格取得には至っていませんで、

「今年こそ!結果出します」と連絡が来ています。

 

親でもないのですが、

納得行く生き方をして欲しいと思っています。