あっ!と驚き。

 

3日かかっても、できずにいた台所用品の荷物詰め。

 

 

昨日、スタッフ渡辺が手伝いに来てくれて、

数時間で、私の3日分の8割方を終わらせてしまいました。

 

苦手なことをするって、こういうこと。

出来る人がするのもこういうこと。

 

 

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35年間ありがとうございました。

 

本日の寄稿文は、医師の中尾誠利先生です。

 

 

震災からずっと今日まで、南相馬に医療支援に来てくださっています。

 

 

 

お子様もまだ小さいし、

もういい加減終わりにした方がよくないですか?

と促しても、

 

 

他にやる人がいないんですよ!

と、相変わらず、身を粉にして働いていらっしゃいます。

 

 

 

私が昨年入院するにあたり、

たまたま教室にお立ち寄りしてくださったとき、

私の顔色の悪さを見逃しませんでした。

翌日、点滴に来るよう促され、そのまま病院に拉致?されました。

 

 

強引な治療がなければ、

脱水症状で倒れていたでしょう。

 

 

不注意で、手を怪我した際にも、

すぐに応急処置してくださったり、

医師ならではのご配慮いただいています。

 

 

 

震災直後、

ほとんどの飲食店が開いていない時期に、

たまたま入られたお店で、

東北電力の選ばれし勇士たちが

厳かに酒を酌み交わす場面に出会ってしまった話は、我々の間では有名な話です。

(勇士たちは、第一原発内に修理のために出陣するメンツだったようです)

 

あの混乱した時期に、

南相馬に支援にいらした中尾先生でなければ

体験できないことです。

 

あれから8年近く、

未だに毎週、南相馬で医療支援をしてくださっています。

 

頭をさげずにはおれない方です。

 

 

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中尾 誠利

医師。

 

 


番場先生今までありがとうございました。

思い出に残るお話2つ、、

#番場先生と初めてお会いしたのは

平成24年夏、堀先生が主宰されたラジオ体操の時でした。
 

 

先生はご活動等ご多忙なのに一生懸命体操されていました。

 

正直凄い⚡と感じました。
 

(実はその前からも東北アクセス高速バスでお会いしていました。

 

私は先生のことをインターネットやFBで存じあげていましたが、

先生は私のことを変わったおじさん?と

思われていらっしゃったみたいでした)

 

#25年春、

妻I子と結婚させて頂くことが決まった時、


南相馬でも披露宴をやりましょう!とおっしゃって下さり
 

 

次の日には日程と場所まで決めて下さりました。
 

 

この実行力には本当に凄い⚡!と感じました。
 

そして当日

―大勢のお客様の中に、

先生の教室の皆様もいらっしゃいました

 

―涙がでたのを今日の日のように覚えております。


番場先生、今まで長い間ありがとうございました。
 

お身体大切にお願い申し上げます。
 

ありがとうございます。


南相馬市医療ボランティア
中尾誠利

 

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お見合いすること数十回。

福島に支援に行っていると言うと、

お断りされていたそうです。

 

そんな時期です。

 

奥様は、お美しい方です。

ボランティア精神が共通の話題になり、

晴れてゴールインとなったいきさつを聞かせていただきました。

 

 

お嬢様にも恵まれて、今は本当にお幸せそうです。

 

毎週毎週、南相馬までの通勤、お疲れ様です。

 

中尾先生のほうこそ、

お体御自愛ください。

 

南相馬市民を代表して、お礼申し上げます。

いつもありがとうございます!!