新年も3日になりました。

いかがお過ごしでしょうか?

 

昨年は、生で箱根駅伝を見物に都内におりましたが、

今年は南相馬でお正月を迎え、

テレビ観戦をしています。

 

 

毎年繰り広げられる、箱根駅伝のドラマに心揺さぶられながら。

 

❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀

 

35年間の塾人生も、教室撤退までいよいよ10日となりました。

連日、大荷物と格闘しています。

 

 

本日は、卒業生の望の寄稿文です。

 

中学生のときから、

雨の日も風の日も、

最近は親御さんの車で送迎の子が多い中で、

感心なことに、自転車で通ってくれていました。

 

根性がある子だなあというのが、私の印象です。

 

歌も大好きだったので、

望たちと一緒に、普段は行かないカラオケに行ったことを思い出しました。

 

背も高くて、イケメンの望が

教壇でどのような授業をするのか、興味深々です。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

志賀 望 

文教大学文学部 英米語英米文学科4年  

(2019年度から埼玉県で高校の英語教師) 

 

 

私が番場塾の生徒になったのは中学三年生の夏でした。

 

当時水泳しかしておらず

勉強とはほぼ無縁の状態でしたが、

無事に学力も上がり、結果第一志望校に合格することができました。

 

 

また、規範意識や

仲間と切磋琢磨して物事に取り組む大切さも学ぶことができました。

 

 

当時かなりの世間知らずだったということもあり、

何もかもが新鮮だった記憶があります。

 

 

 先生との関わりが特に深かったのは高校の三年間でした。

 

 

東日本大震災によって入学する予定だった高校は

一時閉鎖し、

私は少し離れた相馬の高校の教室を借りて授業を受けていました。

 

 

番場塾もその影響で移動してしまいましたが、

私は変わらず自転車で通っていました。

 

 

最悪の形で高校生活がスタートしましたが、

 

塾にいると安心することができました。

 

俗にいう第二の家って感じです。 

 

 

のちに塾は駅前に引っ越しましたが、

私の家からかなり近い場所にあったので、

毎日通塾していました。

 

 

家にいる時間と塾にいる時間が

同じくらいだったので、

時折どっちが家か迷ったことがありました(ホントです)。

 

 

気づけば私は一番先輩になっていたので、

自分の勉強はもちろん、

後輩に勉強を教えたり、

先生の苦手な整理整頓手伝いをしたり(笑)

積極的に塾運営のサポートをしました。

 

 

正直に言うと、

それらのために塾に自分から通っていました。

 

 

言い換えれば、それくらい

人に勉強を教えることや手助けすることが大好きでした。

 

 

そしてここで教員になることを決心しました。 

 

 

そして私は教員採用試験に合格し、

長年夢だった高校の英語教師になります。

 

 

最後までサポートをしてくださった番場先生には本当に感謝していますし、

職種は多少違えど先生の「後輩」になれることを誇りに思います。

 

 

35年間も人に教えるプロを続けていられるかは正直不安ですが、

先生に負けないくらい

魅力的な教員になってみせます。 

 

 

番場先生は引退しても私の中ではずっと先生です。

35年間、お疲れ様でした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

想いが叶って本当に良かった。

望の努力の成果です。

 

そうそう、

片付けの苦手な私のサポートをいつもどうもありがとう。

 

自分の教室日最後の日に、

お世話になった教室だからと、

一人で、黙々と大掃除をしてくれたこと、

よく覚えています。

 

生徒の気持ちがよく理解できる教員になってください。