新年明けましておめでとうございます。

本年は佳き年になる予感がしています。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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35年間ありがとうございました。

 

震災後の番場塾を語るときに、

孝太なくしては、何も語ることはできませんので、

新年のスタートは孝太からの寄稿文がトップバッターです。

 

 

講演の度に、孝太のことはお話しさせていただいていますが、

孝太の自宅は、海のすぐ近くに所在していました。

たった一人戻った生徒で有名になりました。

 

 

2011.3.11

大地震後、途中の交差点から先は、

津波の第一波で、全てが流失してしまっていて、

自宅のあった地区まで行くことが出来なかったと話してくれました。

 

 

孝太に呼び戻され、

私は南相馬で塾の再開をして、日々を過ごしました。

 

5人の弁護士から、

自己破産を勧められていたときです。

 

 

センター試験まで貯金を食いつぶし、

それから自己破産でも遅くはない・・・と決心し、

孝太とマンツーマンの教室が再開しました。

 

 

後日、テレビ局の取材に

孝太は、私の居ないところでこう話していました。

 

 

「自分が帰ってきたことで、番場先生の人生を変えてしまったのではないか?と考えることがあった」と。

 

 

 

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上原 孝太

震災後、たった一人戻った生徒。現在会社員。

 

 

【たくさんお世話になった番場先生へ】

 

 

 僕が番場先生と初めて会ったのは、

小学校4年生の時の書道教室でした。 

 

 

それから1年後、番場先生の所で学習塾にも通うことになりました。 

 

 

中学、高校に進学しても辞めることなく塾に通い続け、

最初は週2日行っていたのが

気付けば、毎日のように通っていました。 

 

 

 

高校2年の終わり、今後の進路を決めるという時期に

東日本大震災が起こりました。

 

 

大津波と震災後の原発事故により

通っていた高校は、

いつ再開するかわからない状況の中、

番場先生から他の高校に転校を勧めるメールが届きました。 

 

 

 

それにも関わらず、

当時の僕は、「番場先生の元で大学に行きたい」、

「高校の友達と地元の高校を卒業したい」と考えてました。 

 

 

それから高校が再開するまでの2ヶ月間は、

反対した先生の言葉をふり切って地元に帰り、

番場先生とマンツーマンで勉強をさせていただきました。

 

 

 

その後、

番場先生が紹介してくれた大学に無事合格することができ、

現在は、社会人です。

 

 

僕の十代は

ほとんど塾で過ごしたと言っても過言ではありません。

 

 

本当に沢山の思い出を番場塾で作ることができました。 

 

 

先生、35年間お疲れ様でした。

 

 

これからもお身体に気をつけて

無理のないように頑張ってください。

 

僕も先生を見習い、まだまだ頑張ります。 

 

孝太より

「書こうと思うと、思い出がたくさんあって纏めるの大変でした(笑)」

と言いながら、寄稿文を寄せてくれました。

 

孝太、ありがとう。

原発事故で、何人もの弁護士先生から自己破産を促され、

生き方を悩んでいた私が、あの混乱した状況の中で、

もう一度教育の仕事をしようと、決心できたのは、孝太のお蔭です。

 

 

 

こうして、番場塾は閉幕しますが、

君の優しさや未来が、私の生きる望みでした。

あの時、決断してくれてありがとう。

 

 

孝太に負けないよう、

私もこれからの人生を胸を張って生きていこうと思います。