35年間ありがとうございました。

今まで、何人ものスタッフと仕事をしてきましたが、

彼女のように温厚な人を見たことがありません。

 

 

渡辺ファンが多かったのも頷けます。

 

 

私が本当に大変だったとき、

彼女はひっそりとそばにいてくれました。

 

何も言わずに、

ただ寄り添ってくれていました。

 

 

私がこうして生きているのは、

彼女の優しさが、私の悲しみを救ってくれたように思っています。

 

 

震災後、

塾をどうすべきか、

税理士の先生に意見を仰いだり、ストップかけられたり、

懊悩する日々が続きました。

 

 

東京駒場に「番來舎」を開設し、

度々上京する私に、

「留守は任せてください。

行き来で体が疲れないように一日休んでください」と、頼もしいことを言ってくれたりもしました。

 

 

ずっと側にいてくれてありがとう。

心から感謝しています。

 

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渡辺 貴子

番場塾スタッフとして、保護者として

 

 

 

先生、35年間お疲れ様でした。

定年退職の方なら、盛大にお祝されて送り出されるのでしょうが、

いつものように、普通に子どもたちと触れ合って、お別れ会などもせず、

本当にこれでいいのか?と思うくらい、あっけない終わり方でしたね。

 

 

先生らしいといえば、先生らしいのかもしれません。

 

 

皆様に誤解されることも多い先生ですが、

先生の毎日はかなり質素です。

 

人様にお金は使っても、ご自分は質素に生活しています。

 

 

私は、息子が中学生のときに番場先生に初めてお会いしてから、

9年のお付き合いになります。

 

 

番場先生の面倒見の良さは、震災後に始まったことではありません。 

 

例えば、うちの息子の専門学校を決める時も、

 

番場先生はわざわざ東京出張の折、

進学を希望している学校まで見学に出向いて、 事務長さんから詳しい説明を受けて来てくださいました。

 

 

 

学校はお休みだったようですが、事務長さんがわざわざ開けて、

番場先生に校内を案内し、いろいろと説明してくださったようです。

 

 

 

息子は内気で口数も少なく、面接では思うように答えられず、 

単刀直入に言えば、面接は失敗だったわけですが、

 

 「あの番場先生の塾生さんなら」と事務長さんが強く推しててくださって合格することができたようです。 

本当に感謝しています。 (現在は国家試験も通り、臨床検査技師として働いています) 

 

 

先生のポリシーは、

自分の知らない学校を勧めたくない との事で

わざわざ周囲の環境や学校の設備、校風等を 

ご自身でご覧になってこられたのです。 

 

 

親以上の行動には頭が下がります。 

ただの学習塾で、ここまで付き合いが密になることは普通は有り得ません。

 

 

 

震災前の番場塾は、それはそれは賑やかなバンバブランドと言われる塾でした。

 

 

イベント事も多かったですし、

先輩が後輩の面倒をみることでも有名でした。

 

 

 

先生は毎日、生徒や保護者と面談を行っていました。 

 

100名以上の生徒がいるのですから、子どもと親の数を考えただけでも、 200名以上の方々と、連日、相談や愚痴なども聴いていらしたようです。

 

 

 

 震災後、

生徒が皆無になったとき、 

先生がどれほど絶望したか、計り知れません。

 

 

そのような中でも、先生は「ベテランママの会」を発足して、 地域の悩める方々のために奔走していました。

 

 

原発事故で、私たち家族も、夫の単身赴任先である茨城に避難しましたが、 

遠く離れていても、

私もメールで度々相談をして励ましていただいていました。

 

 

 

番場先生が南相馬に戻っているから、南相馬に戻って来たという保護者の方もいらっしゃいました。 

 

 

 

先生はよく「来る者拒まず、去る者追わず」と仰っていますが、 

 

先生の悪口を言っていた人にでさえ、

困っている時には手を差しのべていらっしゃる姿には驚かされます。 

 

 

許容範囲が広いというのか、お人好しというのか、私には真似のできないことです。

 

 

 

娘も先生にお世話になり、

感受性の強い娘と学校の出来事をよく相談させてもらいました。

 

 

震災の後遺症で、余震やサイレンを聞くと、動揺する娘を慮って、

先生はいつも地震の際には、「大丈夫だった?」と気遣いのメールをくださいました。

番場さち子という方はそんな方です。

 

 

 

 

私は、おやつの担当や見守りくらいのお手伝いしかできませんでしたが、

先生のそばで数年間、一緒に仕事が出来たことを誇りに思っています。

 

 

 

人様のために動いていらっしゃる先生の唯一の欠点を私はずっとそばにいて知っています。

 

それは人様の前で、涙を見せないことです。

 

 

どんなに辛い出来事があっても、

ため息をつくのを聞くことはあっても、涙は見せませんでした。

 

 

ここで泣いたら、先生は楽になれるのではないのか?と思うことが何度かありました。

 

 

でも、私の前でも

倒れそうなほどしんどい時も、

困った顔を見せることはあっても、泣き顔は見せませんでした。

 

 

 

番場先生に初めてお会いする方は、

無駄に愛想よく笑顔を振りまくわけでもないので、

愛想がないと思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 

 

愛想がいい人や泣き落としが上手な人は、

実は腹黒くて、信用ならないこともあります。

 

 

毎日のようにお会いしていた先生と、

ご一緒する機会がなくなると思うと、私の中での喪失感が拭えませんが、

 

 

「生きていれば、いつでも会える」の先生の言葉を励みに、私も趣味の時間を作ろうと思います。

 

 

子どもだけでなく、親の私までもお世話になり、こころからの感謝をしています。

とにかく、お体と怪我にはご注意ください。

 

 

番場さち子先生、万歳!

 

 

渡辺貴子より

 

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本当に本当にありがとう。

一緒に最終日を迎えることができ、嬉しく思います。

 

人間不信になりそうだった私が、

やっぱり信じられる人がいる喜びを感じさせてもらえたのは、

あなたのおかげです。