35年間ありがとうございました。
昨夜は、祖母の40回目の命日で、
あの日の祖母を思い、過ごしました。
穏やかで、
口数少なく、
孫の私が言うのもなんですが
善人だったと思います。
少なくとも、私のように「敵」は居なかったと思います。
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神さまが存在するとするならば、
この先生と出会わせてくださったのは、神の思し召しでしょう。
聖なる夜は、細田満和子先生からのメッセージです。
細田先生との出会いがなければ、
「ニットサークル」というものが存在しなかったかもしれません。
岩手の大船渡に「ニットカフェ」をして癒しの場作りをしている団体があるとご紹介を受けました。
細田先生のご友人のアミアさんというアメリカの方が、
大船渡でボランティアをしていらして、
わざわざ大船渡から迎えに来てくださいました。
ああ、こういうことをすれば癒しになるのか・・・と
ヒントをいただいたきっかけになりました。
ある時は、
ひどく疲れていた私を、
岡山県瀬戸内市にある
国立療養所長島愛生園にお誘いくださったこともあります。
今でこそ、橋がかかっていますが、
ハンセン病に差別のあった時代には、
島流しにあったような隔離された生活を過ごし、ご苦労された方々をご紹介してくださいました。
その方々に寄り添う細田先生のお姿とお言葉を
疲労困憊している私に、神が与えてくださったビタミン剤のように受け留めました。
ハンセン病の方々に「福島も頑張ってね」と励ましていただき、
私はパワーをいただいて帰路についたことを思い出します。
いつも弱者に寄り添い、
共に傷みをわかちあってくださるのは、細田先生の方です。
才色兼備だけでなく、
金甌無欠という言葉がふさわしいのかどうかわかりませんが、
聖母のような方だと敬愛しています。
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細田満和子
星槎大学副学長・教授。
東京大学大学院で博士号取得後、コロンビア大学、ハーバード大学で社会学、公衆衛生学、生命倫理学の研究に従事。
主著書は『チーム医療とは何か』、『グローカル共生社会へのヒント』。編著に『復興は教育からはじまる』。
「番場先生との出会いに感謝」
番場先生と初めてお会いしたのは、
東日本大震災の年、2011年の12月、ちょうど今頃でした。
震災時、私はボストンに住んでいましたが、
現場の状況を発信している番場先生の活動はSNSを通して知っていたので、
ぜひ直接お話を伺いたいと思い、相馬市の生涯学習会館で待ち合わせをしました。
番場先生はその時、
病気を持つ親御さんの避難に付き添った後、
東京に住む息子さんのところにしばらく行っていましたが、
「先生、塾いつからやるの?」という言葉をかけてきた、たったひとりの高校3年生の塾生徒のために南相馬に戻ってきた、というお話を聞かせてくださいました。
素晴らしい先生だと感銘を受け、以来、番場先生との交流が始まりました。
その後、折に触れて南相馬を訪問させていただき、
ベテランママの会のニットサークルの作品をボストン日本祭りで展示販売させていただいたり、
駒場東大前の番來舎での講演会に通い、
時にはお話しさせていただく機会を頂戴したりしました。
こうした中で、番場先生の行動原則が、
最も弱い立場の人の側に立って、その人を排除しないで仲間として共に歩むという事だという事が分かってきました。
挙げればきりがなくなりますが、そうした場面に何度も遭遇してきました。
たったひとりでも、求めている生徒がいるうちは塾を続けてきた番場先生が、
この度、塾をおやめになると聞いた時、
よほどの大きな決断だったのだろうと思いました。
でも、他の場所で番場先生を求めている声に応えるための、未来志向の決断という事ですので、心からこの門出を祝いたいと思います。
初めてお会いした2011年末は、
復興への道もまだ見えない状況で、南相馬市では目抜き通りの店も半分くらいしか営業しておらず、
子どもたちの好きだったマクドナルドも閉店していました。
番場先生は帰りに、
相馬市にあるマクドナルドで沢山のハンバーガーをお土産に買っていきました。
きっと子どもたちの笑顔で迎えられたことでしょう。
こんな番場先生にお会いできて、心から感謝します。
これからも、どうぞお体に気を付けて進んでいってください。
細田満和子
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ご縁にただただ感謝しています。
今年、私が苦悩真っ只中で翻弄されている時にも、
海外出張からお帰りになったばかりで、
本当にお疲れの中を、寄り添ってくださり感謝しています。