いろいろと

「番來舎」閉鎖に関しては、物議を醸し出しているようですが、

一番の理由は、番場の入院にあります。

 

 

いつかは、辞める時がくるのは承知の上で始めた「番來舎」。

最初は「萬來舎」にしようと漠然と考えていました。

福沢諭吉先生が三田で始められたサロンにあやかって。

 

デザイナーの加納さんに、

「萬を番場先生の番に替えて、番來舎にしたら?」と提案されて

素直な私は「そう?」と、あまり考えずに

画数が多くて、あまり好きではなかった自分の姓の一字を当て込みました。

 

 

 

 

窓が広くて、カーテンは特注です。

心残りはこの特注カーテン(←そこ?)と、都心にしては珍しい開放的な景観の良さ。

私が心身共に復活した時、

あー、あの物件、手放したのは惜しかったな・・・と思う日が来るかもしれない。。。

そんな心残りは少しだけあります。

 

駒場東大前の駅から徒歩1分も、歩くのが得意じゃない私には絶好条件でした。

 

3年半断られ続け、ようやく出遭った居場所を、

今、自ら、手放そうとしています。

 

税理士や弁護士の専門の先生からは、

南相馬を撤退して、東京を残すことを薦められていました。

 

 

いろんな条件が重なって、

このまま継続すべきじゃないかな・・・と、決断下しました。

 

おバカな番場は、逆の道を選択したわけ。

 

 

決して、南相馬と東京を行き来して、相談業務をこなしてきて

それに疲弊してではありません。

都内に出て、新しい出会いがあるのも、

たまの息抜きも、

それは苦痛ではありませんでした。

 

沢山の方のお話しに耳を傾けさせていただきました。

秘書が記録している人数は、番來舎と南相馬とで

実に震災後だけで1200名を超えているそうです。

私にお話ししてくださって

数ある相談員の中から私を選んでくださって

ありがとう。の気持ちです。

 

 

 

いろんな条件が重なって、

今はとりあえず重たい物を一つずつ自分の身体から放していこうと考えました。

 

 

今年の私の決め事は「断捨離」ですから。

 

今年の3.11に私は7年前のあの日に戻そうと考えています。

振り出しに戻って

今後の人生を、今一度考え直そうと思っています。