学生が来ない水曜日。

 

 

アポなしで、夕方飛び込んできた青年がいました。

ひとりで教室にいますと、アポ無しで相談が舞い込むのは日常茶飯事のことなので、何も驚かないですが、

青年の顔を見てびっくり!

 

中学生のとき、受験勉強にと通ってくれていたユウだったからです。

 

彼の家は海の側にあり、津波で自宅は全壊しました。

漁師だったお父さんが、

船を守るために、あえての選択で海に向かって船を出し、

あの大津波を乗り越えて沖に滞留し、船を守ったことは、

かつて取材を受けたこともあります。

 

そんなお父さんを尊敬し、ユウは将来、お父さんのような漁師になりたいと希望していた少年でした。

 

ご両親は危険だということと、今は操業出来ないということで反対されていました。

 

 

 

「先生、俺のことわかりますか?」

 

社会人になって、すっかりとスリムになったユウが、突然の訪問。

 

 

「就職はしたものの、やはり海に関する仕事がしたい。

来月試験があるのだけれど、一人でやることに限界を感じ、

時間ばかりが過ぎて、途方に暮れた。」

 

 

「途方に暮れたときに思い出したのが、番場先生だったんです。」

 

ユウは、翌日から教室に来て、来月の試験に向けてラストスパートの勉強に取り組んでいます。

 

こういう若者が、地元の強い力になるのでしょう。

 

 

その日は、かつての教え子で、教員になった女性も来室。

 

 

「学校教育の現場に居て、

震災前の番場塾の生徒の多彩さに、生徒を通して番場先生の底力を感じていました。」

 

「1-5位がすべて番場塾の生徒が占めていたことありますよね?

礼儀も正しいし、

先輩後輩の上下関係も円滑だし

仲間意識も強い。

勉強だけできるのではなくて、

コミュニケーション能力も高い。」

 

「私も子どもができたら、ぜひ番場先生に子どもを託したいと思っていました。」

 

と・・・・

 

かつて「バンバブランド」と言われた番場塾は崩壊しました。

あの原発事故で。

 

 

かつての南相馬市や番場塾に戻ることはできないと思います。

 

 

でも、今の自分に何ができるのか、

苦悩して苦悩して、模索している途中です。

 

 

このままでは終わりたくない。

このままでは終われない。

いつか番場さち子は復活します。

六年が経ち、まだ何もできていない自分に叱咤激励しながら、

模索しながら、番場さち子の復活を自分自身が願っています。