iRONNAより転載します。

 

3千人の命を預かった老医師の「頓死」が意味するもの

 

上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)


 年をとれば、誰もが病を患う。健康は高齢者の最大の関心と言っていい。では、高齢社会で医療はどうなるだろう。

 

 メディアで、「医療費を抑制しなければならない」、「医師や看護師が足りない」というニュースや記事を見かけない日は、いまや珍しい。我が国の医療が崩壊の瀬戸際にあるというのは、国民的なコンセンサスといっていいだろう。

 

 ただ、このようなマクロのニュースを読んでも、多くの読者は実感がわかないのではないだろうか。自分の住んでいる町がどうなるかを示されないと、イメージがわかないだろう。

 

 最近、将来の日本の地方都市の医療崩壊のモデルとなるようなケースがあった。舞台は、福島県広野町だ。

 

 広野町は、福島県浜通りに位置する。江戸時代には浜街道の宿場町として栄えた。21世紀に入っても、町内には東京電力の広野火力発電所があり、財政的に豊かだった。2010年度の財政力指数は1.12で、福島県内では大熊町(1.44)についで2位、全国では愛知県の小牧市と並び23位だった。

冬場も雪が降らない温暖な気候のため、1997年にはJヴィレッジが設立された。日本サッカー協会、Jリーグ、福島県、東京電力が共同で出資した、日本サッカー界で初めてのナショナルトレーニングセンターである。

 

 この地域を東日本大震災・津波・原発事故が襲った。緊急時避難準備区域に認定され、住民は避難を余儀なくされた。この認定は2011年9月30日まで続き、広野町役場が元の場所に戻ったのは、2012年3月1日だった。震災前の2010年には5418人いた町民は5042人に減った。このうち、広野町で生活しているのは2849人だ。実に47%の人口減である。

 

 これからご紹介する高野病院は、広野町で唯一の病院だ。福島第一原発の南22キロに存在する慢性期病院で、1980年に高野英男氏が設立した。病床は内科65床、精神科53床で、毎日20名程度の外来患者や、数名の急患を引き受けていた。

 

 高野病院は高台にあったため、津波の被害は免れた。高野院長は「地域医療を守る」と言って、震災後も診療を続けた。震災前、双葉郡には5つの病院があったが、高野病院以外は閉鎖され、高野病院は双葉郡で操業する唯一の病院となった。

 

 震災前、二人いた常勤医のうち、一人は去った。この結果、高野院長は双葉郡で唯一人の「常勤医」となった。高野院長は孤軍奮闘した。病院の敷地内に住み、数名の非常勤医師とともに診療に従事した。

 

 この高野院長が12月30日に亡くなった。享年81才だった。娘で、事務長・理事長を務める高野己保さんは「寝たばこが原因の焼死です」と言う。過労が原因だろう。

 病院が存続するためには、常勤の院長が必要だ。高野院長が亡くなったことで、高野病院は閉院せざるを得なくなった。高野病院が閉鎖すれば、双葉郡からは病院がなくなる。97名の職員は職を失うことになる。このうち看護師は43人、介護士は17人だ。生活するためには、この地域から出て行かざるを得ない。

 

 政府も広野町も住民の帰還を推奨してきた。昨年9月には、遠藤智・広野町長は、今年の3月末までに全町民の8割(約4000人)が帰還すると予想していた。病院は欠かすことの出来ないライフラインだ。高野病院が閉院すれば、絵に描いた餅になりかねない。

 

  お嬢さんの高野己保事務長は、元旦には、広野町の遠藤智町長に対して「患者・職員を助けて下さい。私はどうなっても構いません。病院と敷地を寄附するつもりです」と伝えた。

 

 遠藤町長も事態の深刻さを理解し、福島県および周辺の自治体に支援を求めた。南相馬市立総合病院は即座に協力を表明し、外科医である尾崎章彦医師を中心に「高野病院を支援する会」を結成した。大勢の若手医師がボランティアで診療に従事した。

行政も動いた。6日には、福島県・広野町・高野病院などで会議を開いた。翌日の福島民友は一面トップで「医師派遣や財政支援 高野病院診療体制維持へ県 福医大と連携」と報じた。

このような動きを知ると、関係者が一致団結して、問題解決に取り組んでいるように見える。ところが、実態は違う。

 

 この会合に参加した坪倉正治医師は、「福島県は支援に及び腰でした」という。会議の冒頭で、安達豪希・福島県保健福祉部次長は「双葉地方の地域医療と高野病院の話は別です」と発言した。広野町で高野病院が果たしてきた役割を考えれば、こんな理屈は通じない。

 

 福島医大にも危機感はなかった。代表者は「常勤医を出すことはできない」と明言した。筆者が入手した福島県の報告書には「全県的な人材不足の中で、一民間病院に、県立医大から常勤医を派遣することは困難」と記されている。

 

 実は、この説明は虚偽である。福島医大は、星総合病院など県内の複数の民間医療機関から寄付金をもらい、「寄附講座」の枠組みで常勤医師を派遣している。

 

 また、福島第一原発の北の南相馬市原町区に位置する公益財団法人金森和心会雲雀ヶ丘病院には、災害医療支援講座から複数の専門医を派遣していた。

 高野病院も雲雀ヶ丘病院も、原発周辺に位置する民間の精神科病院という意味では全く同じだ。福島医大関係者は「故高野院長は福島医大の医局員でなかったので、震災後も支援されなかったのでしょう」という。被災地で、こんな議論がなされていると、国民は想像もつかないだろう。