子どもの登校拒否の一因は先生にも有り!?
中学三年生の女の子が、学校に行けなくなりました。
登校拒否というやつです。
彼女は、小学3年生で東日本大震災に遭遇しました。
激しい揺れに、子どもたちは泣き叫び、学童に居た子ども達は、恐怖で顔が引きつっていたそうです。
次々に、親御さんが迎えに来て、お友達はどんどん帰路につきます。
いつもは、バイバイと手を振って帰るお友達が、
お母さんの顔を見た途端、安堵の色を浮かべ、
手を繋がれて出て行くのを、その子はじっと見つめていました。
彼女のお母さんが迎えに来れたのは、とっぷりと日が暮れて、
真っ暗になってからです。
介護士の仕事をしているお母さんは、高齢者のお世話があって、
仕事場を抜けることができませんでした。
それでも娘のことが心配で、心の中では駆け足しながら、迎えに急いだと聞きました。
学童には、先生と彼女だけが、余震に震えながら待っていたそうです。
翌日も、仕事があるお母さんは、祖父母に彼女を託して出かけることになりました。彼女の親戚も、津波の被害にあい、
それを案じた祖父母は、現場を確認に彼女を連れて出かけたそうです。
津波で破壊された家々、どろどろの道、瓦礫の散乱した田畑、
生活用品の布団や冷蔵庫などが、津波で押し流された状態で道に転がっている様は、恐怖以外の何ものでもなかったようです。
彼女の記憶に、それは深く刻み込まれ、恐怖となって残る事になります。
先日も、福島では震度5に値する激しい地震がありました。
学校は休校になり、その日は家族と自宅で過ごしたのですが、
翌日から、記憶が蘇った彼女が、家から離れているとき、母親と離れているとき、
地震が襲ってきたら、また自分はどうしようかとさいなまれるようになりました。
それを担任に話しても、
「地震が怖いんじゃないでしょ?受験が不安だから学校に来たくないと言ってるのでしょ?」と理解してもらえなかったそうです。
その言葉の刃が、彼女の心に突き刺さりました。
別の教科担任の教師には、「高校行くの?(そんな成績で?)」と言われ、
自分は高校受験してはいけないのかと、絶望する気持ちになったとも言っています。
頼みの綱の養護教諭からは、「(発達障害の子でも受け入れてくれる)通信制高校のサポート校でも受けたらいいんじゃない?」と言われ、
ひどく傷ついたと訴えました。
数々の言葉の暴力を受け、彼女は学校に行けなくなってしまいました。
文部科学省はインクルーシブ教育を重んじるよう掲げています。
「『お子さんの個性を大切に』と謳っている割には、
現教育システムとのギャップや、教員の特別支援に対する意識やスキルが追い付いていない気がする・・・」
と、親しくしているグレーゾーンのお子さんから障がいを持ったお子さんのサポートをしている施設の総括責任者が仰っていました。
「支援員や介助員の数を増やせば事足りると、小手先だけの対応をしているように見受けられる」とも仰っていました。
スキルのない支援員や教員の言葉や対応によって傷つき、
自信を失くしてしまったり、
登校拒否に陥っている子どもが何人もいるという相談も受けています。
子どもは10人いたら、10人全てが違う能力を持っています。皆同じであるはずがありません。
学校側が、如何に個性を重んじる教育や特別支援に力を注ぎ、
そのお子さんにどれほど寄り添えるかによって、子どもの成長が是か否かに変わると言っても過言ではないでしょう。
実際、学校をお休みしても、無関心体制に憤りを感じるほどです。
申し訳程度に、電話を掛けてくることはあっても、本当にその子の立場になって考えてくれているのか?との疑問が残ります。
先述の総括責任者が「教師は子どもの教育の表舞台に立っているという変な自信からか、周りの人たちに支えられて立ち直ることが出来た子どものことも、学校が頑張ったという変なプライドや自信で勘違いしている教師も少なくない発言が今までにも多々ありました。
療育はお子様をしっかり成長させるための黒子役だと思っています。
主役は未来ある子どもたちなので。
他者に、人格を否定される権利は全くないのですから。
心ない言葉が精神的虐待であるということ、人権侵害だと気付けない教師が多数いることは悲しい限り。」とお話しされていました。
やんちゃで、先生方にも手を余されていた男子生徒は、
校長先生から「あなたが勉強できないのは、障がいや病気のせいだもんね」と言われ、先生に向かって暴言を吐きました。
傷ついたその子が吐いた暴言を誰が責められるでしょうか?
むしろ言葉を放った校長先生が咎められるべきです。
子どもにとっての学校とは、思春期の中学生にとっては、親よりも長い時間を過ごす一番身近な大人と触れ合う場所であるのです。
どれほどの影響力があるか知れません。
子どもを育み守るべきところが学校であるべきと考えています。
一番安全で安心できるはずの学校で、子どもが、実は傷つけられていると知ったら、親はどうするでしょうか?
昔、私たちが子どもだった頃の先生は立派な方が多かったように思い出されます。
もっと、子どものことを本気で考えてくださっていたように感じます。
だから先生に叱られても、大声で注意されても、その言葉の裏には愛情を感じることができ、その言葉を受け入れることが出来たと思います。
そして、親への反抗がひどい思春期の時期には、先生が一番の友であり、信頼できる大人であったように思います。
子どもの成長は待ったなしです。
貴重な時間を、話の次元の違う教員に任せておけないと、我々民間で子どもに携わり、相談を受ける側としては、逼迫してこの状態の改善を要求したいと思っています。