東京電力福島第1原発事故から5年の現状や課題を探る毎日メディアカフェのセミナー「福島の今を知る」が15日、千代田区一ツ橋1の毎日ホールで開かれました。


 「ベテランママの会」代表、番場さち子さんと、石崎芳行・東京電力福島復興本社代表の対談です。

福島県喜多方市出身の冠木雅夫・毎日新聞専門編集委員が進行役を務めました。


... 番場さんは事故後に南相馬市で被災者たちの相談に応じる市民団体「ベテランママの会」 を設立。

南相馬市立総合病院の坪倉正治医師を招いて放射線教室や相談会、各種講座の開催を重ねました。2014 年、東京での支援拠点「番來舎(ばんらいしゃ)」を開設し、代表理事を務めています。 2015 年には


「日本復興の光大賞」(NPO 法人日本トルコ文化交流会) 受賞しました。


東京電力代表執行役副社長、福島復興本社代表の石崎芳行さんは1977 年東電に入社。

本社広報部長、福島第2原発所長などを歴任し、2012 年、代表執行役副社長。13 年から復興本社代表に就任しました。


 まず、番場さんが震災後の体験や活動を報告しました。
「南相馬市で学習塾を経営していました。原発から30キロ圏内の毎時0・2マイクロシーベルトの場所から50キロの毎時1マイクロの場所へ避難することになりました。『どうしてより高いところへ避難するのか』と聞きましたが、『ともかく30キロ圏内は危ない』と言われました。


4月になっても学校が始まらず、相談を受けました。

そこで、無料学習会を始めました。『子どもを強制避難させないで受け入れているとは何事だ』といった抗議電話を受けました。

パソコンが故障したのですが、PCリース会社からは『放射能を浴びたPCを返されても困る』と言われました。


塾を経営できないので、弁護士からは自己破産を勧められました。


東電に電話すると、(東電から電話がかかってきての誤り

『塾をやめてくれと東電は言っていない。

塾閉鎖はあなたの自己責任です』と言われました。


そんな時、高校生から『先生のところから大学に行きたい』と言われ、その一言で、塾を再開しました。


母親たちの不安や叫びを聞く『ベテランママの会』を始めました」
 


生々しい体験談が語られました。

その後、番場さんは坪倉正治医師と出会い、「放射能のお話し会」を開催しました。


「活動すると叩かれましたが、延べ100回3000人以上が参加しました」。


さらに、冊子「福島県南相馬発 坪倉先生のよくわかる放射線教室」を制作しました。


初版2万部はすぐになくなり、すでに4万部に達しました。英語版も1万部作りました。
 

こうした実績をもとに、番場さんは「全国で放射線教育を」と訴えました。
 


続いて、石崎芳行さんはまず、原発事故直後から現在に至る映像を映しました。


1~4号機がそれぞれどうなっているかを紹介するビデオで、事故当時と比べて、作業が進んでいることが分かります。

石崎さんは「多大なご迷惑、ご心配をおかけしたことをお詫びします」と謝罪した後、現状を話しました。
 


「廃炉作業は復興本社ではなく、廃炉会社が進めています。7000人の作業員の半数は福島県の皆さんです。『どうして事故を起こした東京電力のために働いてくれているのですか』と尋ねると、『東電は許さないが、自分の故郷を取り戻すためだ』という答えが返ってきました。ありがたいことだと思っています。これまで約2万人の方に視察してもらっています。まずは現場を見てもらうことが大切だと思っています。高濃度汚染水は浄化作業を完了しました。マスクをしないで作業できる場所が広がりました。環境をよくして働ける場所にしようと、努力しています」
 


復興本社は賠償や除染活動のほか、雇用創出、まちづくりへの協力などに取り組んでいます。

除染には除染作業員だけではなく、社員も延べ15万人が参加しました。


楢葉町などでは「見回り活動」をしています。見回り車両に社員が乗って、「何かご用はありませんか」と聞いて回ります。「地道な活動をしなければ、信頼回復はできないと思います。


福島は風化と風評被害の二つの風に苦しんでいます。ふくしま応援企業ネットワークは14年11月に発足し、現在は22社が入っています。私は避難所での皆さんの表情が忘れられません。それを忘れてはならないと思っています」
 


次に、対談に移りました。
 


石崎さんは「広く深く複雑にご迷惑をおかけしました。

我々が何をすべきなのかは、会社の論理ではなく、皆さんの中に入って聞かなければわからない。

話を聞けば気づきがあるだろうと、こちらから近づいて聞きに行くことが必要だと思います。

社員にもそのように言っています。東電社員は3万3000人ですが、多くは関東出身です。

福島に住んでいると福島の現状が分かります。ところが、東京に住んでいるとそれがなかなか分からない。福島の実態を本社に言い続けています。これを受け入れなければ、会社は成り立ちません。

東京電力は福島での責任を果たすために生かされている会社だと考えています。

今なお10万人の方が避難しています。まだまだ責任を果たせていません。全力を尽くします」と話しました。
 


事故の影響について、番場さんは「一口に福島と言っても、福島は広いです。会津は放射線量が東京よりも低い。ひとくくりにされて語られるのは迷惑です。

南相馬市は20キロ圏内、30キロ圏内、30キロ以上の地域があり、それによって分断されていることが大きな問題になっています」と述べました。
 


第2原発の運転再開があるかどうかについて、石崎さんは「核燃料のリスクはないですが、発電しようにもできる状態ではありません。今は福島第1の廃炉を全力でやっています。第2をどうするかといったことを言える状態ではありません」と説明しました。
 



番場さんは放射線影響について、「3割が福島産の食品を食べていませんというと、だから不安になるのか、それとも、7割が食べているから大丈夫と考えるのか。人によって違いますが、リスクがわずかなのに、それを大げさに言うというのはやめてほしい」と語りました。
 



質疑・意見交換では、「復興本社」の名称はおかしいといった東電に対する強い批判も出ました。


石崎さんは「賠償について、おしかりを受けているのは承知していますが、進んでいるのも事実です。

復興は住民の方だけではできない。住民や行政、企業などの協力が必要であり、東京電力もその中に入れていただきたいと思っています」と語りました。



 最後に、番場さんは「1月からたくさん取材を受けました。傷口に塩を塗るような作業でした。メ

ディアの方にはそれを分かっていただきたい。

身を削って、矢面に立っています。

首都圏の方々は、電気を当たり前と思わないで下さい。福島から送られていたのです」とメッセージを述べました。


 石崎さんは「私たちは逃げることはしません。まちの復興は皆で議論する中で東京電力も仲間に入れてほしいと思います」と締めくくりました。