震災記念日が近づいて来て、

1月頃から私にも取材がやたらと増えるこの時期ですが、

今年は5年という時期も手伝って、更に昨年より増えているように思います。




先日、

あるテレビのディレクターとの取材を終えてからの雑談中


「震災直後は、皆さんが懐かしいお顔に出会うと『生きてた?』と挨拶したもんです。」

と教えてあげました。


そのときに、ふっとお花屋さんの玄関先で中学時代の同級生のMくんと再会したことを思い出しました。

お互いにマスクをしていて、目だけしか見えていないのに、

咄嗟に、Mくんであることを認識しました。

中学を卒業して、それぞれ違う高校に進学しましたので、

実に35年ぶりくらいの再会でした。



「おおおお!!!!生きてた!!!??」とお互いに声掛け合った直後、

「オレは生きていたけど、娘がね・・・・・」という返事が返ってきて、私は言葉を失いました。

だから、娘のために花を買いに来た・・・と言ったのでした。



慰めの言葉が咄嗟に出なかった私は、

Mくんの背中をさすってあげて、

「お嬢さんの分まで一生懸命生きようね」と、

またいつ会えるかわからないけれど、お互いに生き延びようね・・・と、

そう話して別れたのよ。


と、テレビのディレクターに話したのでした。



私もあの日は、津波で亡くなった従兄のために花を求めに行ったのでした。


あれからMくんには、この5年間一度も会っていませんでした。

が・・・・

なんと、話題を出した日の深夜、いつものコンビニに途中下車しましたら

Mくんご夫妻が買い物しているではありませんか!



5年ぶりだね。。。。(ぎゃーとか、わーとか、言った気がします。。。)

と声掛けましたら、

いや、俺はよく新聞で活躍を見ているから、5年ぶりの気がしないよ!との答え。


取材中に話した彼が、その日に登場って、、、、、


本当に不思議で、私はかなり驚きました!!!



「5年、早かったよね・・・」

お嬢様のことを思いながら、声を掛けました。


お花屋さんで出会ったことを、奥様に説明していた彼のお顔を見上げながら

ご夫婦で、悲しみを乗り越えていらしたんだなーと、

何とも言えない気持ちでお二人の会話を聞きました。。。。



「35年ぶりの再会でも、お互いに一目見てわかったなんて良かったじゃない!?」

と、奥様が笑顔で応えられている姿に、5年という年月の長さも思いました。

奥様も、私のことはご主人であるMくんから聞いて知っていたらしく、

「はじめまして。

でもこちらは一方的に知っていました。」

と、挨拶されたのです。




お嬢様を失くした悲しみは、癒える日はないかもしれません。

Mくんご夫妻に幸あれと願わずにはいられませんでした。

皆様それぞれが、いろいろな体験をしたのです。

あれから5年。

私たちは被災地で懸命に生きています。

メディアに出ることで、反面叩かれることも多いのですが、

彼らご夫婦の他愛ない会話の一コマにでも、番場さち子がお役に立っているなら

それは嬉しいなーと思った夜のお話しでした。