私が高校1年生の、ほんの十年前(自称、懲りもせず28歳と偽り)

昭和51年12月24日に母方の祖母が亡くなりました。

本日は命日というわけで、痛む足を引きずりながら、墓参りに出かけて来ました。



あの日は終業式で、小高に帰る友人が、電車の時間を待つ間、私たちは教室に残ってお喋りして時間を過ごしていました。

祖母はガンの再発でしばらくの間、入院生活を送っていたのです。




急に、

ふっと、

誰かに呼ばれたような気がして、友人を置いたまま

私は祖母の病室へと自転車を走らせたのが、12/24の午後


病室には親戚が集められていて、

私が駆けつけたのを待っていたかのように、ドアを開けて入ったそのタイミングで大きく最期の息を吐いて、あの世へと旅立って逝きました。

今では携帯がありますから、どこへ居ても連絡が取れますが、

あの頃はそのような時代ではなく

身内も私がなかなか帰らないので、もどかしい思いで待っていたようです。

間一髪間に合い、見届けることができました。



身内の私がいうのも何ですが、我が祖母は仏様のような人でした。

いつも控えめで、穏やかで、心配性なところが玉にキズでしたが、菩薩のような温厚な実直な人間でした。

祖母から、愚痴や悪口を聞いたことがありません。

いつもひっそりと誰かの話に耳を傾け、

残りご飯を食べ、

周囲に目配り、気配りを怠らない人だったと記憶しています。



着物の上にモンペを穿いて農作業もしましたが

前掛けのポケットには、好き嫌いが激しくて、ご飯をあまり食べない私のために「のりたま」のふりかけが入っていたり、

小銭をテイッシュに丁寧に包んだものを隠し持っていたりして、

いつも祖母の前掛けのポケットには、ささやかな私を喜ばすものが隠されていました。


その月の12日に、祖父が東京で倒れ、還らぬ人になったばかり。

葬式が済んで、やれやれという時期でした。


祖父が倒れたと連絡が入った時、

誰も祖母には急逝したことを話しませんでした。

いよいよ本葬の朝、伯父が祖母に実は・・・と伝えたところ

「先に逝ってくれて良かった・・・」と言ったそうです。


妻より年下の夫である祖父は、昔の男にしてはとても背が高く、色男で、随分と祖母にも迷惑をかけたのではないかと思います。

田舎暮らしが性に合わなかったようで、

東京で長いこと単身赴任して過ごしていました。

その年度で、さすがに東京での生活は終わりにして、地元に転居することになっていた矢先の話です。

カッコよくて、小遣いをたくさんくれる祖父のことを私は好きでしたが、寅さんみたいな人だったのかもしれません。祖母は苦労したに違いありません。



同じ月に、父親と母親を失くした私の母は、諸々が済んでから、しばらく寝込んでいたことを覚えていますが、祖母は、安心して祖父の元へと旅立ったように思います。



今日は、クリスマスイブですので、

じじばば(私の両親)にも何かご馳走を作らねばならないかと思いましたら、

骨折してからどこにも出かけられず腐っていた母に提案され

湯治に両親は今朝早く出かけました。

私は留守番。。。




父方の祖母の陶器のような美しい白い肌も・・・

母方の祖母の謙虚で控えめな性格も・・・

私は引き継ぐものはありませんで、非常に残念。

急逝した母方の祖父の酒豪にだけ似ていると、あまり嬉しくない言葉も親戚の者たちから聞かされます。



世の中には、偉業を成し遂げて、エライ!と唸らせる人もたくさんいらっしゃいますが、

私は祖母の人間性を称えたいと思います。

私も年齢を重ねたら、あのようなおばあちゃんになりたい。

私の見本です。



・・・・というわけで、今夜のイブは老猫と私の、一人と一匹のイブとなります。

一人じゃケーキ用意しても食べきれないし、隣のタカミヤさんの焼き鳥で乾杯かな・・・

皆様はMerry Christmas!!

寒くなります。ご自愛くださいませ。