子どもたちを見つめ続けた4年            


任意団体ベテランママの会代表 番場さち子

あの日の長い地震の後、私達の生活が一変したのは言うまでもありません。

教室の建物が老朽化していたので慌ててスリッパのまま外に飛び出したのですが、自宅の様子を見に、私は海に向かって車を走らせました。あの時何かに導かれて、私はたまたま右にハンドルを切り、こうして生きています。福島第一原子力発電所から六十キロと言われる伊達市の体育館に避難中、都内に住む友人が支援物資を持って駆けつけてくれた時、持参したパソコンで上空からの津波被害の写真を見せてもらいました。私はたまたま右に曲がったことで生かされたことを知り、自分の運命に驚愕し震えました。

 避難の最中、私は携帯電話の電池が続く限り百名いた生徒達の生存確認を行いました。海に近い子どもから順番にメールや電話をして返信がないと、もしかしたら被害にあったのではないかと不安になり、恐ろしくて二度三度とは同じ生徒に連絡を取れず、苦しい思いで連絡を待つことに徹していたことが昨日のことのように思い出されます。



 避難所の体育館で仲良くなった学生たちは、私が学習塾の先生だと知ると、勉強を教えて欲しいと私の回りに集まるようになりました。避難生活を共にする子どもたちを見ながら、私は三十キロ圏内で学校が再開しない南相馬市の子どもたちに思いを馳せました。

 「わずかだけれど子どもがいるらしい」と屋内待避の指示で籠城を決め込み、避難せずに残った友人から毎日のようにメールが入りました。その頃、ガソリンもなかなか手に入らず、餡パンを朝昼晩と三日分も置いて行かれたりする生活にも、私は疑問を感じていたところでした。こうして生かされていて、何の意味があるのだろうか?

私が津波から被害を受けず生かされた意味は何なのだろうか?

私にできることは何なのだろうか?と、連日考え続け、とりあえず南相馬市に戻って、学校が再開するまで子どもたちの面倒をみようと決めました。心配して制止する両親に、

「放射能で被曝して、もし十年寿命が縮まったとしても、それでも私は子どもたちのために何かしたい」と、両親の手を振りきって避難所を後にしたことも思い出されます。



 無料の学習会は、ママたちの口込みであっという間に広がり、連日三十人も四十人もやって来ました。住所を聞きますと、津波被害に関係のない飯舘村寄りの山あいの地域や三十キロ圏外の鹿島区の子どもたちがほとんどで、学校も始まらず、外へも遊びにも行けず、友人にも会えず、不安いっぱいの顔をした子どもたちやお母さんが連日教室を訪ねて来ました。学校が平常に行ける状態の時には、学校が嫌だったり勉強が嫌いだったりすることもあったでしょうが、何も無くなってそれができない状態になると、その欲求を欲したくなるという子どもたちの現象も目の当たりにしました。

私は押入れに仕舞いこんでいた大量の教材の数々を大テーブルに広げ、一人一人に合った教材をセレクトして、子どもたちの学校が再開するまで、無償で大盤振る舞いすることで、不要になった教材の有効活用としました。私一人では面倒見きれないため、スタッフや震災の混乱で学校が始まらない大学生などに手伝いのヘルプを求めました。

そんなある日、私の携帯には私達の活動を非難する電話が入りました。

「教育者のくせに、子どもを強制避難させないで受け入れているとは何事だ!」と名前も名乗らず、電話の相手は私にそう噛み付きました。私は静かに「ここに住んでいる子どもたちにも教育を受ける権利はあります」と言い返して電話を切りました。

その怒鳴り声に一瞬不安な顔で私を見上げたスタッフの者達には「明日からも継続します。責任は私が取るから!」と言い切りました。今思い返すと、一体私は何に責任を取るつもりだったのでしょう。今では笑い話ですが私も何かに必死だったのでしょう。



学校は小中学校が4月22日から、高校は5月9日から、三十キロ圏外の他の学校を間借りして、劣悪な環境の中スタートしました。隣の鹿島区や相馬市の学校に向かうため、朝早くスクールバスが迎えに来るので早起きしなければなりません。バスのルートには津波にあった地域を通らなければならず、波消しブロックを根こそぎもぎ取られ、打ち寄せる波頭が見えたり、船が国道脇に流れ着いていたり、家財道具が流れて残されたままの状態の箇所を通ります。女の子たちは、その残骸を見ながら学校へ通うのが怖いと何度も私に聞かせてくれました。

学校は学校で、パーテーションで仕切られただけの簡易教室やひどいところは廊下で授業を受けることもあったようで、それひとつとっても、私は福島県や南相馬市は、教育特区にすべきではないのかと地団駄を踏む思いでいました。何も被害のない中央と同じであってはならないと思います。県や国はこの現場を見たのか?と、一人で吠えてもいました。



Mは自宅が津波で流失した少女です。翌日自宅の確認に出向いた際、自宅は跡形もなく失くなっており、しかも途中の堀に津波で流された馬の死骸を見つけ、とても恐ろしかったと言っていました。中学校の体育館に避難していましたが、原発事故がありバスが迎えに来たので訳もわからぬままそのバスに家族全員で乗り込んだのだそうです。行き先は長野県。行ったこともない、地図で何となくしかわからない地域に連れて行かれることだけでも不安でいっぱいだったと言いました。2-3日で帰れるのだろうと思っていた長野行きは、到着してからいつ帰れるかわからないと説明があったそうです。それを聞いて、Mのおばあちゃんはショックを受け、熱を出したのだと教えてくれました。



震災直後、私の携帯電話には実に様々なメールや電話が入りました。「福島から来たというだけで差別を受けた」「避難民と馬鹿にされた」「福島のナンバープレートを見て車に傷つけられた」「早く帰りたい」「先生のそばに行きたい」私は為す術もなく、子どもたちやお母さんたちの愚痴を吸い取ることしかできませんでした。

震災直後は「あの時どこにいてどんな被害を受けたか」「その後どこに避難していつ南相馬に帰ってきたか」が、名刺代わりのように、子どもも大人も身の上話を挨拶として交わしていましたが、最近それがようやくなくなって来たように思います。避難生活が長く、不安に慄き、教科書も変わって落ち着かない毎日を送っていた子どもたちに多く見られたのが、学力低下です。戻ってきた子どもの多くが、勉強する安定感もなく、落ち着かない毎日を過ごしていたであろうことは察しがつきました。三年経つ今、子どもたちはあの時の混乱や不安を忘れたかのように、避難先では楽しかったなどと言えるようになりました。あの時、何度も不安を口にしたり、愚痴をこぼしたりしたことは、喉元過ぎて忘れてしまったのか、良い思い出だけが記憶に残っているのか、少し今の生活が落ち着いてきた証拠なのでしょう。



震災後4年が経ち、一見平穏な生活に戻ったかのように見えます。津波の被害にも合わず、家も有り、両親も仕事が有り、普通の生活に戻れた子どもは幸せです。まだ仮設住宅に暮らし、仕事もままならず、今後の生活設計が出来ていない親御さんは不安な状態がピークと化しているようです。それが弱い者への暴言や暴力となり、DVで苦しむ相談も噴出して来ています。子どもにとっての4年間は尊い時間でした。あの時中学三年生で受験の合格発表を待ち望んだ子どもたちが、もう今年は大学生の年になりました。あの避難生活がなかったら、もっと学力も向上したかもしれない、もっと部活動で成績を残せたかもしれない、もっとたくさんの仲間と卒業を迎えられたかもしれないという生徒もいます。



震災は、多くの命や財産、自然を破壊しましたが、新たに支援してくださる方とのご縁も与えてくれました。私の教室には実に様々な外部の方がいらっしゃいます。大学の教授、学生、医師、新聞記者、ジャーナリスト、などなど職種だけでも数え上げたらきりがないほどですが、子どもたちはそのような大人たちとの出会いの中で、新鮮な気づきも与えていただいています。広島大学の教授から直接お話しを聞かされた女子高生のRは、将来被災地で人の役に立つ仕事をしたいと、作業療法士の資格を取りたいと勉強に励んでいます。そのようなことも、先生との出会いがなければ思い浮かばなかったことで、恩恵を受けることも増えました。



先日、海外に暮らす日本人から「福島は暮らしてはいけない場所なのに、そこに住まわされている可哀想な子どもたち」を支援したいという申し出が有りました。支援の気持ちは有り難いけれど、私はその方に「いろいろ事情や考えがあって福島に住んでいる」ことや「放射能に対しても、無知で無学が差別や風評被害を生む」ことをお伝えしました。



子どもたちは平凡で当たり前の生活がとても有り難いということをこの4年で学んだようです。世界史に残るあの大震災と原発事故は、子どもたちの心に確かに影を落としました。それをわずかでも吉とさせることが我々大人の使命だと思っています。他の地域の人たちができない経験をさせてもらったと思いなさい、だから自分の言葉で語り伝えて行きなさいと教えています。また、放射能や放射線に関しても、自分の言葉で語れるように勉強することを促しています。福島の子どもたちは可哀想な子どもたちではありません。

福島の子どもたちから希望が生まれると信じています。

今後ともベテランママの会は、若いお母さんや子どもたち、高齢者の弱者の味方となり活動を継続して参ります。ご支援賜れますと幸いです。

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