エルトゥールル号が映画になったそう。

私もぜひ観てみたいです。









https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=r0aDSOGMh78



今から120年くらい前のお話。

オスマン帝国海軍の艦船「エルトゥールル号」がトルコと日本の友好関係の発展と2つの異文化相互理解のために、11ヶ月の月日をかけて日本にやってきました。


トルコの一行は4ヶ月滞在し、友好関係を築く礎を作りました。


しかし、1890年9月15日

帰路についたエルトゥールル号は、日本を出航して間もなく、台風に遭遇。

和歌山の大島の岩場で衝突事故を起こし、沈没してしまったのです。


小さな漁村の串本の村の方々は、村人総出で救助にあたり、助け出された69名の上船員を手厚く看病しました。

海で遭難した者の体は冷え切っており、体温回復のために、人肌で温めたりもしたそうです。

相手が外国人だとか、どこの人かもわからないことはさておき、とにかく人命救助を優先したというお話しです。


この遭難事故で、500名以上のトルコの方が亡くなりました。


生存者69名は、大島村蓮生寺に移され、村人から着物を譲ってもらったり

非常食として蓄えていたサツマイモや鶏

田圃のなかった大島では超貴重品の米などを提供されて命をつないだそうです。


当時の日本には、武士道精神が息づいており、「惻隠の情」・・・困っている人は労う精神でご奉仕したそうです。


その当時の村長、沖 周さんの書かれた記録集には、医師たちもボランティアで、治療費も薬も提供したということが記されています。


当時の明治天皇陛下は、エルトゥールル号の遭難事故をお聴きになり、侍医や看護師13名も派遣賜ったそう。


その後神戸で治療を受けた生存者は、1891年(明治24年)1月2日に日本海軍の「比叡」と「金剛」の日本船に乗って、無事にイスタンブールへと帰国しました。




トルコは日本に恩義を感じてくれていました。

1985年(昭和60年)3月17日

イランは隣国イラクと戦争の状態にありました。

イラクの大統領サダム・フセインが、突如テヘランを空爆すると宣言しました。

48時間を過ぎた場合、国籍に関係なく、イラン上空を飛行する航空機を撃墜するとも発表したのです。


日本からの救護機は安全が保証されないという理由で飛ばず、200人以上の日本人が空港に取り残されました。


イランの首都テヘランメヘラバード空港で

絶体絶命の窮地を救ってくれたのは、トルコの救援機でした。


トルコ人と日本人を乗せるとすぐに空港を出発、タイムリミットの80分前だったそうです。

トルコは日本に充分な恩返しをしてくれました。ところが残念なことにあまり知られていません。



山田寅次郎氏は、茶道「宗徧流」の跡取りでしたが、エルトゥールル号の遭難事故を知り、全国各地で講演会を開いて亡くなったトルコ人遺族のために弔慰金を集めてまわったそうです。

1年後に当時の金額で5000円(現在では1億円くらい)をトルコに届け、

皇帝の要請でトルコの陸海軍の士官に、日本語と「日本学精神論」を指導した方です。

生徒の中には、トルコ共和国の初代大統領ケマル・アタチュルクがいるそうですので、やはり教育が影響を与える意義は大きいです。


トルコでは教科書に載せて、子どもたちに日本に助けてもらったことを教育しているそうです。

日本人でイラン・イラク戦争の時の日本人救出劇を知っている人はどれくらいいるのでしょうか?


日本に武士道は残念なことに薄れてきている感があります。


そして今年、第1回日本トルコ文化交流会において

ベテランママの会が「日本復興の光大賞」を受賞させていただいたのです。


トルコとの交流を顧みるに、私は第1回大賞受賞者として、トルコの業績を語り続けていかなくてはならないと思っています。


ぜひトルコの思いを知ってください。