「岡山の改革、十分可能」 木幡浩副知事が抱負
総務省から着任した木幡浩副知事(52)が1日、県庁で会見し、「コロンブスがインドを目指したように常識に反することでも実現はできる。コロンブスの部下として準備し、大航海を成功に導くのが私の仕事だろう」と抱負を語った。
県では4年ぶりの副知事2人体制で、木幡副知事は行財政改革担当。香川県に出向した経験があるため、岡山の状況は知っているとしたうえで、「財政改革に苦労してきた岡山県だが、ポテンシャルはすごい。改革は十分可能だ」と気を引き締めていた。
「ブログに俺のこと書くなよ」と以前言われてたんですがー
ま、悪い事じゃないし、いいでしょ!ってことで書きます。
我らが同級生の木幡 浩くんが、昨日より岡山県副知事に着任しました。
東大に2人行った方のかたわれ~っていうとわかる人もいる?
彼は飯舘村の出身で、原町高校に通学するために、原町のオバサンのお宅に下宿して通学していましたが、覚えていますか?
あの当時、私たちの同級生は450人いて、10クラスありましたね
あの当時は、川内村から原町高校に入った、しんいちろーちゃんなんかも下宿組で、
将来は教員になって故郷に錦を飾る!みたいな、そりゃあ勉学に励んでいたもんです
それでも先生方から言わせると、歴代の先輩たちに比べると、お前たちはバカだのアホだの、
今の世の中ならすぐに訴えられるような暴言もありましたが、それで我々も発奮した!ようなもんです
そーんな飯舘村出身の木幡くんは、ちょっとあの頃から異彩を放っていました
勉強もスポーツも、確か彼の右に出るものはなかった気がしますが、鼻にかけるでもなく、
ガキ大将みたいな・・・いたずら小僧的な・・・・ユーモアも持ち合わせた、
ただのガリ勉くんではなかったと思います。
そう、バランスが取れていました
昔は、原町高校は、男子クラス、女子クラスと別れていて、数Ⅲコースだけが、途中から男女混合のクラスに編成されていました。
何年生の時だったかな~
私は生活委員で、下校時間を促したり、施錠を確認してカーテンを閉めたりする役割で、
男子クラスを回っていました。
教室の真ん中の席で、無心になって問題を解いている木幡君が居て、
「木幡くーん、下校時間だから帰ってくださーい」という私の声で、
えーいま、良いとこなのにー・・・ってな顔をして私を振り向き、
「おい!番場!お前も一緒にやろう!!」と手招きをしたのです。
何してんの???と、覗きこんだら、私にはとても太刀打ちできそうもない数学の問題が羅列してありました。
「うわっ!!気持ち悪い」(だって数学嫌いだったもーん。私は文系だしー)
と言った私に、
「難しい問題ほど、解けた時が快感だ!」と答えたのでした
最近、上田紀行先生の「生きる覚悟」を読んでいますが
「・・・・テストでやさしい問題だけを解き、難しい問題にはチャレンジしない。そうした「できることからしか物事を進められない」という傾向は、・・・・・・・福島原発事故にしても同じです。
飛散状況に応じた住民の避難こそが最優先されるべきだったのですが、それもできない。
つまり、自分がそれまでに想定せず、例題として解いていなかった問題に対しては、
迅速かつ創造的な決断ができない・・・」
とあります。
ホント!ホント!と、私は思わず、うんうんと唸りました。
前例がないと物事に許可のできない公務員が多い中で、彼の言動はかなり異彩でしょう・・・
彼を指名した岡山県はきっと変わりますよ!!
彼はすごく頭が柔軟で、行動も本当に速いです。
なぜ福島が、地元出身の彼を招かないのかがしれませんが、
彼の働きで岡山は本当に変わると思います
同級生のこうした頑張りを見ますと、我々ももういっちょ頑張るか!!!と思えますね。
最近、疲弊した友人たちを見るにつけ、ちょっと心を痛めておりました。
木幡君のこの活躍を見て、少し活性剤になることを期待して、本人には怒られそうですが
ブログにアップします
そんな完璧な彼にも、一つ弱点があるのご存知ー??
あーこれは、ここでは書けないなー・・・・
本当に怒られてしまいそうですナイショナイショ・・・・