南相馬に住みます番場さち子です。
私は学習塾を経営しておりますが、100名以上いた生徒が震災後にあっという間に0になりました。
放射能が怖くて、みんな避難生活を選択したからです。



昨年の5月に再開した教室には、現在20名ほどが戻って来てくれています。
その中の中学1年生のミサキちゃんからのお手紙をご紹介します。

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私は2年前の3月11日に東日本大震災を経験しました。
その時、私は友達と小学校の体育館にいました。
あんな大きな地震が来るとは思わなくて、すごくこわかったです。
友達もたくさん泣いていました。





数時間して、母が迎えに来てくれて、顔を見た時はとてもうれしかったです。
車には兄と犬が1匹だけ乗っていました。
「他のペットたちは?」と尋ねたら
「家も動物たちも、全部流されてしまったの・・・」と母が言ったので、ただ悲しかったです。

帰る所もないので、隣町の祖母の家に行きました。
なかなか夜も眠れませんでした。
朝起きても、食欲もありませんでした。



津波警報が解除されてから、元あった自分の自宅を見に行きました。
私はその光景に驚きました。
家が跡形もなく、瓦礫だけが散乱していたからです。
それを見た時はすごくショックでした。足が震えました。
私の友人は、近所で飼育していた馬が津波の犠牲になり、
堀にはまって死んでいるのを見たとき、怖くて泣いたと言っていました。



私たち家族は、新潟県に避難しました。
新しい学校、新しい同級生にとても緊張しました。
でも新潟の人たちはすごく親切だったと思います。




数ヶ月して、南相馬に帰ってきました。
でも、仲良しだったお友達は、遠くに避難したきり帰って来ていません。
また原発事故が起こるのではないかと、戻る気持ちがないようです。

お友達が少なくなりました。



今は、仮設住宅に住んでいます。
お部屋は3部屋で狭いです。
隣の部屋の音が聞こえてきて、とても気になります。
私の家の音も、隣に聞こえているのかと思うと、それも気になります。
早く普通の家に住みたいです。
普通の生活がしたいです。

2年経ちますが、私も友達も、この2年間の体験を忘れることはできません。

みさきより」

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南相馬の子どもたちは、地震、津波、原発事故のトリプル災害の後遺症の中で
懸命に生きています。
我々の生活は、未だ普通ではありません。まだまだ現在進行形です。



こういう子どもたちがいることをお知らせください。
わかっていただくことだけでも支援です。

坪倉正治先生は、このような南相馬に暮らす子どもたちに勇気を希望を与える真の救世主です。


南相馬  番場さち子





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番場ゼミナール/ベテランママの会

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