国後島

知床半島と平行して延びる細長い島で、長さ122㎞、幅は広い所で30㎞、狭い所で6㎞、面積は1500平方㎞で香川県に近い面積でございます。

日本側から見える海岸線は、柱状節理が見事で、富士山によく似た爺々岳は、旧島民にとっては「父なる山」として慕われておりました。

1754年の宝暦4年には、松前藩が交易場所を開き、寛政11年高田屋嘉兵衛が択捉へ渡る航路を作り、戦前は根室支庁の管轄で1400世帯7300人余りが住んでいました。

(今は日本人は住んでいない。)

映画「地の涯に生きる者」のロケ地で森繁久弥さんは、次のような詩を作っています。

「国後や 択捉の島や 我が故郷と呼べば答える指呼のうち、なぜ曇るや国後の空、いつか渡れるその日を思う」戦後、時折上空を飛び交うロシアの軍用機、国後島から照らされるサーチライト等、国境の海はかすかな希望の光を見せながらも、多くの問題をはらんで横たわっております。

(国後とは、アイヌ語でキナシリ・ロシア語でシブナシリ 2月平均気温はマイナス6度前後、8月平均気温はプラス16度前後、海流の関係で雪は少なく北海道内陸より暖かい。)