ヘレン・ケラーの言葉に、
「障害は不便ではあるが、不幸ではない。」 という言葉があり。
(翻訳によって、違いはあると思いますが)
私はこれまでの人生では、
ハンディキャップをお持ちの方と接する機会が比較的多かったのかなと思います。
ハンディキャップの内容は、
心のことだったり、自閉症だったり、車椅子だったり、様々でしたが。
その方たちからも、「生活に不便なことはあるけど、不幸じゃないよ」という言葉を何度か聞いたことがあります。
私はがんの手術後から、
通勤時はヘルプマークを付けています。
術後は、傷の痛みのため。
放射線治療中は、足に重りを付けられているかのように体が重くて、歩く時に足がなかなか上がらない。
ホルモン療法では、関節の痛みや、手になかなか力が入らない。
それから、
ほぼ全ての場面で、
階段は使わずに、
エレベーターかエスカレーターを使っています。
だからといって、
それらがすごく便利かといえば、
自分に必要になってみて分かることもあって。
駅のエレベーターがホームの端っこにある時、出口などの案内板がエレベーターの近くには無かったり。
電車内の優先座席の近くの手すりが持ちにくかったり。
座りやすいけど立ちにくい手すりの形状だったり。
実際に使ってみなければ気づかないことがたくさん。
また、
私の自宅マンションは築が古いので、
玄関も、廊下から部屋に入る時も、お風呂に入る時も、段差があります。
以前住んでいた築10年くらいのマンションなら、
玄関を開けてから、お風呂、トイレ、居室まで、バリアフリーでした。
外出時だけでなく、
自宅でも不便なことはあります。
でも、
以前聞いた「不便だけど不幸じゃない。」は、
その通りだったと、今は感じています。
がん治療が始まってから、
不便になったこともたくさんあるけれど、
でも、私、全然不幸ではないよということを書こうと思って書き始めた記事でした。
が、
書いている間に、変わりまして。。。
これまで出逢ってきた、
不便に立ち向かっている人たちを思い出してみると…
私のタモキシフェンの副作用や放射線治療の体への影響なんて、不便のうちに入らないよね、、、と。
人と比べる話ではないのですが。
私は、
自分の足で歩けているし、
目も見えているし、
1人で外出することもできるし、
言葉を発することもできて、自分の意見や気持ちを伝えることができるし、
トイレも1人で行けるし。
私のどこが不便なのかが、
分からなくなってきまして
「これくらいの副作用で、あーだこーだ言うんじゃないわよ┐( ̄ヘ ̄)┌」
と、今は自分に対して思っています
結論として、
別に私なんて大して不便じゃない。
⚠️私の場合に限ります。
がん治療が不便なことがないという意味ではありません。
私は、現時点では、抗がん剤もしていないし、全摘はしていないし、がんそのものによる痛みもないし。そんな私が不便だどうだと語るのもいかがなものかという思いもあります。
「不便だけど、私、不幸じゃないよ」
という記事の予定が、
「不便じゃない」に変わり。
記事も長くなってきたので。
「不幸じゃない」については、
また次回書きます