…気のせい、かな?
智くんは、悩みに悩んでやっとメンバーに打ち明けた第一の想いは
「嵐としての活動を終えたい」
FC動画での智くんの言葉、残された文面にもそう書かれています。
…それが「嵐活動休止」から「いつか復活」と明言、とか、テーマがもう…
別のモノにすり替わっています

「一つの着地点」として「嵐の活動休止」に至った
…という流れだったはず。
とりあえずの「嵐活動休止」。
これは元々大野智くんの希望の
「嵐としての活動を終えたい」の一つの着地点に過ぎない。
智くんにとっての妥協点ということ。
それがなぜか、
「嵐のままでは自由な普通の生活ができないから、嵐をしばらく休む」
にすり替わっています。
確かに活動休止に入ったら、自由に釣りをしたりノンビリされると思いますが、
「大野智くんの自由」は、
そののんびりフツーに過ごすことを意味しているのかな?
大野智くんの真の意味の自由とは。
自分のやりたいことを自由にできること、
自分の興味あることをとことん突きつめること、
ではないのかな?
ただのんびり自由に過ごす、ではなく。
ラジオでも似たような発言されていますね。
もちろん最近でも、
月刊テレビナビ(2019年2月号)。
嵐に対して
「自分の中のスタンスは何も変わっていない」
10周年までは「個々の仕事をみんながやっている中で、僕は興味あることを徹底してやってた。(略)1日中寝てるとかあり得なかった」
TVnavi SMILE (2019年31号)。
「特に振り付けに関しては、俺はここはこう、と決めたら譲れないから(笑)。練りに練って熟考していくから、人に何を言われても変わらない。譲れない部分なんだよね。(略)決めるまでが長いんだよ、仕事でもプライベートでも。頑固だよ、基本。」
引退を考えるような人が、「振り付け」に熱く語りませんよね。
よく考えた末の結論には、頑固。
つまり、
やっと決めた「嵐を終えたい」という自分の重い結論を、
「嵐活動休止」「復活」「夏休み」とか…
そんな、勝手にメンバーやファンがすり替えていいのかな?
それに、初めから「引退」なんて、智くんは言っていないしね。
「嵐としての活動を終えたい」
もし…
「大野智としての活動を自由に始めたい」のための「嵐としての活動を終えたい」のなら、
その中に、今までの自由に無かった、
「大野智ソロ活動」その自由に含まれていることも充分にありえますよね。
それならば、
ちゃんと智くんの希望通り、自由にやらせてほしい。
今の状況で、「智くんの自由」が叶えられない環境なら。
「5人で嵐」という重い鎖…
その言葉で、自由になりたい、活動したいと願う智くんを縛っていませんか?
「辞めたい」という人に
「いつか復活します!」と世間に言ってしまうことは、外堀を埋めて追い詰めることになっていませんか?
嵐のために、特に歌やダンスの面で尽くしてきた智くんを
嵐から解放させて羽ばたいてもらうことはできない?
もちろん嵐のままで、自由に活動させてもらうことが最高
だけど、
それができない環境だから、
「嵐を終えたい」という結論に智くんが考えたのなら、
大野智くんの真の「自由な」活動をさせてあげてほしい。

