一言では言い表せないが、仲間であり、ライバルであることは間違いない。

また、歳の近い仲間が代表から去っていく。勝負の世界なので当たり前なのだが、たまらなく寂しい。

初めて彼を見たのは高校2年の時だった。秋田県の合川高校にいて、勢いを感じた。ただ、正直お世辞にもクレバーな感じには見えなかった(笑)

ただ、直感で、「くるな」と思った。

すでにインターハイを連覇していた僕だったが、ジュニアや代表を賭けて戦う日もそう遠くないように感じた。

その予感が的中するまでは、そう時間を要さなかった。高校から始めたにもかかわらずジュニア代表候補、ナショナルチームの合宿に呼ばれるまでになっていた。

彼の特徴でもある、手を引きながら大きく突進するアタックは当時の僕をとても苦しめた。勝てない時もしばしばあった。

時は流れ、北京五輪メダリストとして帰ってきた初の公式戦、大分国体。ここで、彼と再戦する事になる。彼は働きながらも、名古屋や岐阜でフェンシングを続けていたのである。

結果は彼が勝ち、新聞やメディアで報じられた。

その事もあり、彼の勤務先である、株式会社鶴弥が彼の支援を決断し、そして彼は代表の練習に戻ってきたのだ。

東京に単身で出てきて、慣れない生活の中、目標に向かって頑張る姿が印象的だった。

また思った結果が出ない時も代表選手を支え、時にはスパーリングパートナーも務めてくれました。

そして、昨年行われた高円宮牌で彼は快挙を成し遂げる。世界ランク1位のチェルミシノフを撃破したのである。本当に凄い事である。

その彼が先週で、剣を置いた。

会社と彼で話し合って決めた事なので、それに関してはとやかく言うつもりはない。

むしろ、ここまで彼を、いやフェンシング界を支えて下さった、株式会社鶴弥の皆様には本当に御礼を申し上げます。

皆様に言えるとするならば、齋藤有なしでは、ロンドンのメダルは獲れなかったかもしれないということ。

チームの中で齋藤有にしか出来ない役割を一生懸命務めてくれた。練習以外の時間でも練習に付き合って貰った。

だから、僕は本当に感謝しかないのである。

その大切な時間を共に過ごせた事は僕にとっては財産である。

彼が置いていった魂は、しっかり引き継いで、世界でしっかり活躍したい。

お疲れ様、そしてありがとう。

有君のお願いを現実のものに出来るように頑張るよ。

また、練習一緒にやろう!