昨日の続き。



そんな衝撃を受けた僕。



普段の練習から彼らに勝つ為には自分が何をしなくてはいけないを考えるようになりました。



これが今の僕を支えている『考える癖』とでもいいましょうか。



身長の低い僕が低い事をいくら嘆いても仕方ありません。どうしようもない事もありますから。ぶら下がり健康機とか買おうと本気で悩んだ時期もありますが。



自分の強みを探すこと



日本で練習する日々、飯村先輩の指導もとフェンシングに没頭する日々。



しかし、海外への想い(特にドイツ)が強くなるなか、短期であっても単身で海外に行くチャンスはありませんでした。



日本で1番になってないのに行くのかと?言われもしました。でも僕は行きたかった。理由は憧れからくる単純なものかもしれない。あの衝撃をもう一度味わいたい。でも僕にとってはそれで十分な理由だったし、ドイツには日本にないようなフェンシングの施設だってあった。



ただ、今考えると高校生を単身で行かせるのは少しリスクがあったと思う。だから仕方なかったなと思います。



そんな僕にようやくドイツに渡る機会が巡ってくる。



進学先の同志社大学が僕に海外遠征を用意してくださったのだ。これには本当に感謝しています。



ようやく巡って来たチャンスに僕は期待を膨らませドイツへ。この時はボンではなくタウバービショップスというクラブに。単身ではなく大学の先輩と2人でしたが。



しかし、期待と現実の差は僕を困惑させました。でもそれは許容範囲内でしたが。



まず、練習量が少ない。これは日本と違って毎日練習しない。これは文化の違いですね。施設は大変素晴らしかった。



次に、相手のレベルが僕の望むものではなかったこと。もちろん学生と比べたら強かったですが、既にアテネオリンピックにも出場していた僕にとって、若手のドイツ選手では得るものが正直少なかったように思います。



結局僕は海外での時間の過ごし方もイマイチ分からず、不完全燃焼に近い日々を過ごしました。



あの時の衝撃とはほど遠いフィーリングで僕は帰国します。



ここを経て、僕は決心します。



ピーターヨピッヒ、ベンジャミンクライブリンクがいるボンへ行こうと。当時から2人もワールドカップ優勝経験もありましたし、世界ランキングも上位でした。理由は簡単です、ただ強い選手と練習したい。ただそれだけでした。



ここでようやく単身でかつ強いクラブにフェンシング留学をする事が出来たのです。



そのとき僕は20歳。大学2年生でした。



続く。



太田雄貴