昨日は、珍しく1件しか相談が来なかった分、ゆっくりとLINEを返し、色々とお話ができました。

その中で、「人から教えられることって必要ですか?」という問いがあり、『人から教わること』について共に考えさせて頂きました。


なんというのか、私はこれまでの人生において、財産と呼べる多くの人の力や影響、助けを受け、今の自分というのを確立させてきたわけで、児童心理学を教えてくれた恩師や、精神医学/精神病理学/薬学等の医療的知識を教えてくれた恩師、臨床における精神療法について指導してくれたプリセプターとした先輩、孤独から助けてくれた亡くなった彼女、音楽を改めて楽しいと気付かせてくれたバンドのリーダー、即興というジャンルの面白さを教えて頂いた恩師含め、先輩アーティストさんたち、古武術を通して侘び寂びとした心を持たせてくれた恩師など、10代、20代、辛く悲しいことも多かった反面、自分にとって、影響を与えてくれた人が沢山いることに感謝しています。


そして、それに気付けるかどうか、そこが頭の良さの1つであり、今後の人生において、本当に大きいターニングポイントだと感じている分、私は『人から教わることの意義』は、そこにあるのではないかと思っています。


けれど、大人や同級生、親から、傷付けられた経験がある場合、他者に対して変に意固地になったり、反抗的な言葉や、自分の深層にある想いとは異なった行動を取ってしまうもので、損をしていることにさえも気付けなくされてしまうことが恐ろしく、私も小学校、中学校の先生から受けた『言葉』は、今も胸に残り続け、反抗的な態度や理解されない気持ちから非行に走ったこともあるので、時間と共に言葉の傷は癒えていくかもしれないけれど、傷付けられたという傷跡は残り続けるため、『一人でやればいい』、『自分だけでやればいい』という風な考えに陥ってしまうのではないかと、相談者さんのお話や自分の振り返りにおいて思ったりします。


けど、不思議なもので、自分が他力に期待せず、自力で迷いながらも努力していると、自ずと他力が働くもので、私はまさにその経験者だと思います。


なんというのか、上記の方々だけでなく、カフェを開業するにあたり、珈琲の仕入れを考えた際に、堺市駅にあったお店から仕入れていたのですが、老朽化により、ビルを建て替える際に、お店を引退してしまったのですが、「引退するから」と、その店主さんから珈琲の知識や焙煎のやり方を改めて1から教わり、尚且つ、焙煎機を頂いたり、最近では、シェア型書店HONBAKOさんにて、『心療書院』を始めたことを機に、同じ箱主仲間であり、大先輩の心理カウンセラーである方から、「引退している」からと、箱庭を頂いたりして、尚且つ、箱庭療法や臨床に関することについて、共に検討させて頂いたり、教わっているわけですから、本当に縁というのは、不思議だと感じます。


けど、一番驚くのは、助言や意見、教えらることに対して、素直に聴けている自分がいることで、やはり自分の努力の影には誰かがいて、それに気付くことで変われたように、昨日の方においても自分を見守ってくれている誰かに気付いてほしいと思う今日この頃。