こんにちは。

先月はいろいろと忙しい月となり、グランフロント大阪にて、講演依頼を頂いたりしており、哲学の教え子が院へと進み、近況について報告を受けたり、今月より本屋を始めることなど、先月も走り回っておりました。その中で、今日はグランフロント大阪での講演での感想を含め、書いていこうかと思います。

 

5月の最後の週、とある高齢福祉施設で管理者をしている男性から依頼を受け、グランフロント大阪にて、40名ほどの方に向けて、『生産性について考える時間』という講演会を行わせて頂きました。

 

その際に、講演では、最初に、参加者さんから『生産性』という言葉で感じるイメージについて聴かせて頂き、『生産性とは?』ということについて、数名の方に意見を頂きました。

 

すると、総合的にSNS含め、デジタル化の話題が多く、今のデジタル化されている社会こそ生産性の賜物であると感じていることが伺えました。

それは確かにそうでしょう。今はデジタル化により離島医療も進みましたし、左手に重い拘縮がある男性が、東京大学の研究員が開発した装置を使いリハビリをすると、左手の機能が回復してきたという論文もあるほど、医療/福祉の分野での発展は日を増すごとに進んでいますからね。

 

しかし肯定的な意見の中には、デジタル社会にある中、医療/福祉においてもDX化が進み、『取り残されていくのではないか』、『取り残されている』という様に感じ、不安や恐怖等を覚えている人もいて、参加された方には、『高齢により、覚えが悪くなった分、付いて行けない』と感じていたり、『恥ずかしい』や、『バカにされる』、『面倒くさいと若い人に思われるのではないか』と思い込み、素直に聴けなかったり、それを気付かれないために、『高圧的/避ける様な態度を取ってしまう』という意見を言われる方がいました。

 

また、高齢のみならず、参加された20代30代の中にも、『何かを生み出すことが自分にはできない』、『インフルエンサーにはなれない』、『求められることと、やりたいことは違い、その折り合い(帳尻合わせ)に必死』、『職場は結果だけで、私のことは見ていない』等々、社会/企業等に自己価値を下げられている意見もあり、『売れるモノを作り出す力生産性』と言ったイメージを植え付けられているなぁと、お話を聴きながら感じていました。

 

そこで講演会では、『時間』と『空間』についてお話をさせて頂いてから、グループ(村)を4つ作り、そこでコンヴィヴィアリティ(自立共生)について考えることを中心に、『取り残される不安/恐怖』ではなく、『取り残される必要性』についてグループ(村)の中で考えて頂いたのですが、彼ら彼女らからは、『取り残される必要性』という言葉に戸惑う様子が伺え、グループの顔色を見渡し、言葉を意識するあまりにそっけない態度を取るなど、個としての立ち位置、つまりは個性ということを改めて考える時間であっただけに、面を食らったのだと思います。

 

しかし、今、デジタル社会にあるからこそ個性というのものが育ちにくくなり、SNSにおける弊害等が増えている分、自己における生産性=コンヴィヴィアリティ(自立共生)について考える時間というのが必要なのではないかと思います。