季節は暑くなり、今年は空梅雨になるのかなぁと、考えたりしています。

さて、少し前のことですが、お世話になっている児童福祉事業所で管理者をしている方から、「新社会人の介護士たちに対して、心理的支援で気を付ける点について話をしてほしい」と依頼を頂き、『支援者が気を付ける肯定的アンコンシャスバイアス』という講演をさせて頂きました。

アンコンシャス•バイアスとは、『無意識の思い込み、偏見』という意味を持つ言葉で、人との会話や何か用事等でその人と接する際、「この人は○○だからこうだろう」、「普通/常識として、○○だからこうするだろう」という認識が先に立ち、『自己解釈』としてのフィルターを通して相手を見てしまうことで、時に他者とのズレが引き起こされ、不快感を与えてしまったり、不快に感じてしまうこと等を言います。

なぜ、このようなズレが引き起こされるのかと言いますと、人には、『習慣』、『常識(一般的な価値観)』、『差別』、『エゴ』、『偏見』、『固定観念』という、これまで経験として蓄積され、脳が学習してきたことが、「そうである」というような思い込みを無意識にさせてしまうからです。

人は思い込む生き物で、経験というものは、時にその人の思いもしない結果を生んでしまうものなんですよね。
私も考えることが好きですから、昔はちょくちょく誤解したり、させたりしたものです。

そして、不安や恐怖等を感じている患者さん等に対して、治療者は認知行動療法等を用いながら、そういったバイアス/思い込みや誤認した解釈を解いていったりするわけなのですが、アンコンシャス・バイアスは何も本人さんだけではありません。

むしろ、支援する側の人間こそ気を付ける必要があると、私は思うのです。

例えば、犯罪者がいたとして、その犯した罪によって、感じる嫌悪感や情状酌量の度合いは変化するでしょう。

例えば、児童福祉施設やDVを受けた人に対しては、他の子よりも優しさを向けたり、多少の失敗等は目を瞑ると言った態度を取ってしまったりするでしょう。

しかし、それは本人さんからすれば違和感や反対に惨めさ等を与えてしまう危険があり、これは今度出版する著書にも書いているのですが、、、

治療/支援において、最初にカルテやアセスメント等を見て、その人の情報を知っておくかと思いますが、実はそれがバイヤスとなり、『森を診て木を診ず』な状態に陥ってしまう危険が潜んでいるのです。

そして、間違った解釈により、益々、本人さんを苦しめ、時に孤立させ、症状/状態悪化を生んでしまう危険があり、情報を得ることは大事ですが、それ以上に自分の目で相手を診て、『先入観』や『偏見』等は極力持たずに接するための心持ちを普段から意識しておくことも大事なのではないかと、私は思います。

その上で、私の面接での話になりますが、いつも面接(カウンセリング)において、患者/相談者さんのカルテやアセスメントに書かれていることは確認しつつも鵜呑みにはせず、改めて本人さんから聴き、知るということから始めているのです。

また、私は、その人に対して、『可哀想』とか、『病気/障がいがあるから仕方ない』という様な接し方はしないわけで、良くも悪くもフラットで、叱ることもあれば、言葉にせずに寄り添うことや、共に悩み考え、思わず呆れたり、クスッと笑ってしまうくだらないことをどこでぶち込むかということを考えているんです。

何故なら、『笑う門には福きたる』じゃないですが、苦しんできた分、バカにできる相手になりたいですし、それ故に、つい本音が溢れたりするわけで、変に立場や関係性、境遇等に意識が向いていては、見れるものも見れないですからね。

勿論、支援者の中には、お金のためとか、仕事だからという理由から割り切っている人もいますから、相談者さんが置かれている環境はシビアであると思いますし、そういう人を否定もしません。そこにも様々な背景がありますから…。

というようなことをお話させて頂き、講演会では、私自身、参加された方々から色々と意見を聴き、考えさせられました。