所属している会で書記長なんかをしていますと、しばしば先生たちから、「先生は、児童が研究/臨床対象でありながら、老若男女問わず、全ての方の相談にのられていますが、難しくはないですか?」や、「相手の相談が、理解できない場合、先生はどうしていますか?」など、共感性理解に関する質問を受ける事が多々あります。

共感性理解とは、平たく言えば、相手の心理や言葉、感情等に共感し、理解してあげると言うもので、患者/クライアントが治療者に対して提示する症状や主訴における理解をするという意味合いがあるわけですが、これが言葉で言うより簡単なモノではないんですよね。

そして、中には勘違いしている心理士/カウンセラーさんがいますが、友だちの相談を聴くのとは意味合いが違うわけですから、自分の価値観や考えを伝えてはいけないことは勿論、自分と意見や考え方、価値観、経験が違う人に対しても、歩み寄りを意識しなければいけない分、専門としている分野のみならず、相談を聴いている私が、どのように対応しているのか、気になるそうなのです。

例えば、「離婚を考えています」という相談があったとして、結婚していない治療者や、これまで恋愛をしたことがない治療者がこの相談をされたら、治療者は相談者の気持ち(心理)や、言葉の裏に隠された深層心理、ぶつけられる感情からの汲み取りというのは、どこまで正確に読み取れているのでしょうか?

例えば、「死にたい」という希死念慮が強く働いている相談者からの相談において、これまで死にたいと考えたことがない治療者や、仮に考えたことがある治療者が、相談者の気持ち(心理)や、言葉の裏に隠された深層心理、ぶつけられる感情からの汲み取りなどに対して、『説得』等と称した自分の意見や考え方、価値観、経験を押し付けてしまう危険性というはないのでしょうか?

時に人は、相手からの信頼や信用を得たいがために、共感しようと気を急いたり、自分も同じだという認識を持ってもらおうと相手に働きかけたりしてしまうだけに、変に説明的になったり、それを補うために長々と語り続けるだけに、相手との気持ちのズレが生じ、結果、相手からうわべだけ、口だけの人と思われたりするわけで、、、

それだけに、カウンセリングでは傾聴を意識すると言われ、自分語りは危険と言われるわけです。

しかし、上記のような相談においては、自分が経験していない分、そもそもの理解が難しいわけで、心理士/カウンセラーが悩み、戸惑い、焦って、相手の気持ちも汲み取らない発言をしてしまう新米さんから、ベテランになれば傲りが出て、知ったような口ぶりになっていたりと、きちんと患者さんが診れていない人がいます。

そして、そういう治療者は、決まって答えやアドバイスをしようと頭のどこかで考えており、そのことから、きちんと相談者のお話が聴けておらず、自分本意というのか、自己主張を中心としたカウンセリングに慣れているか、形式的なカウンセリングに縛られ、相手が見えていないため、自己主張型の治療者においては、『治療者とは、自分を映す鏡であり、影で、主体はあくまで相談者ですから、カウンセリングは自己内観を探すための時間なのだ』と、再認識されたらどうかと思うわけで、形式的な治療者には、『外観(相談者からの言葉)を意識しがちですから、内観(相談者の心理)に働きかける問いかけ』を意識付けると良いのではないかと思います。

大事なことは、自分の物差しだけで、測っていては、気付けないことがあるということで、臨床とはただ聞くだけ、ただアドバイスすればいいというものではない分、決して簡単なものではなく、治療者における専門的な知識を学び続ける姿勢が大切だと、私は考えているのです。