人とは、詰まるところステンドグラスのようなもので、観る角度、見る姿勢、関わり度等で大きく異なり、その受けての感受性や知性、教養等によっても変化する故に、私は人間が好きで、人の心理が好きで、等しく他者(人)に対して魅力を感じるのです。

という話を、昔、対人恐怖症(社交不安障害)の大学生の男の子としたわけで、昨日、社交不安障害の女の子の相談を聴いていて、ふと会話をしながら、彼との会話を思い出していました。

彼は、「先生の思う、人/人間/ヒューマニズムとは、なんですか?」や、「心が壊れた時/疲弊した時、先生はどのように立ち直りますか?」など、話しやすいと感じてくれているからなのか、色々と質問しては、共に考えたものでした🤔。

そして、そうした共有した学びと再考の中で、私はその人に上記の言葉を伝えると、その子から再び、「何故にステンドグラスだと感じるのですか?」という質問をされ、「人や心は硝子ように繊細だから」と答えると、「なら、割れたらどうするんですか?」と質問されたのです。

おそらく、彼の性格的に、私のことだから、『そのために私がいて、共に修復する』と言ってくれると、考えていたことだと思います。ですが、私は割れたモノが元に戻るとは考えていませんから、「(割れたなら自分自身の手で)磨くしかないですね」と答えました。

その人からは、「修復はしないんですか?」と不安そうに質問をされたのですが、人間関係における修復や、自身に対する修復というのは、主に他者に対して取り繕うことに重きを置きがちになるため、自己の責任にて何かしらの損失や、迷惑を被ったなら、誠意として謝罪することは大事ですが、それで許してもらえるというのは甘い考えで、本当に信頼や信用を取り戻したいと考えているなら、取り繕うことに執着するのではなく、自分自身を磨き、(その人ないしは誰かが)困っている時に助けられる人になれるように、努力する時間を持つ方がいいと、私は思うのです。

また、一度割れた鏡が戻らないように、心もまた、割れたなら元には戻らず、悲しみや怒りといった負の感情により、ヒビが入って、割れてしまったのなら、静かにそれらを広い集めて、割れた角を整えるように気持ちを少しずつ磨き、1つの円と成せばいいと思うのです。

そもそも、元は大きな一枚の硝子だったものが、誰しも成長と共に、何度も割れて往き、知らず知らずの内に硝子の欠片の数が増え、いつしかそれもまた、知らず知らずの内に積み重なっていくため、気付くと、それがその人を表す一枚の絵図(個性)と成っているのですから、傷付くことは辛いことですが、一種の成長の兆しである分、自分を信じて待てばいいと、私は思います。

そして、それが細かければ細かいほどに、それがあなたの魅力となり、人から興味や関心を持たれるわけですから、無理に修復を考えるのではなく、喉元過ぎれば熱さを忘れるという姿勢や、他力本願な姿勢ではいけませんが、何かしら後悔していることがあるのなら、きちんと自分の気持ちと向き合い、己を磨く努力をしてほしいと思うのです。

不思議なことに、他力本願を忘れ、自ら行動とした自力を働かせているなら、自ずと他力も働くため、弱くとも、不安であろうとも、自分を信じることは、怠ってはいけないと、彼や昨日の子に伝えたわけで、、、

今、様々な方がいて、何かと自己肯定を上げるためのHOW TO BOOKSなども出ているために、さらに自分を追い込み、身体を壊してしまう人や、お金を出して自分を変えようする人がいるわけですが、自己肯定は、無理してあげる必要などなく、無理して変わろうすることもなく、ただ、あるがままの自分を受け入れ、自分を信じることで物事の見え方は変化しているものですから、まずは無いものてはなく、在るものに意識を働かせてほしいと思う今日この頃…。

DON'T WORRY. I KNOW YOU'LL BE FINE. BELIEVE IN YOURSELF. I'M ROOTING FOR YOU!!👍