今月は『向精神薬に関する』研修会に参加したり、毎月2回ある深友会の症例研修会は、第115回が『片頭痛からの二次的心身疾患』、116回が『医療従事者の家族ケア』について症例報告させて頂き、来月は『MBT難病に関する』研修会にも参加させて頂いたりと、研修研修の日々ですが、医療は日進月歩を繰り返しているため、臨床に身を置いている以上、先生方との勉強会は実にありがたく思います。

MBTと聞きますと、私はやはり、専門が精神ですから、始めは『精神力動論』や、『認知行動』、『生態学』などを取り入れたメタライゼーションに基づいた治療をイメージし、パーソナリティ障がいの方に対する療法の研修だと思ったのですが、来月の研修は、国の特定疾病など、発病の機構が定かではなく、希少な疾病のために治療法が確率しておらず、当該疾患に罹り、長期的な療養を必要とされる方へのケア及び地域創生とまちづくりに関する研修でした。

しかし、難病指定を受けた方の心理的ケアというのをクリニック時代もありましたし、現在においても、真夜中の相談やカフェ及び出張でのカウンセリングにおいて診させて頂いておりますから、とても必要だと感じています。

なんといいますか、心理系の大学を卒業後、ご縁を頂いた事を皮切りに、臨床に身を置いて優に10年以上が経ちましたが、クリニックでの臨床は、ベルトコンベアのようにクライアントさんを診ては、カルテを記帳し、論文のために患者を診るという節が否めず、寄り添うという点では、0点だった自分がいます。

まぁ、レセプト(医療報酬)などの関係もありましたからね。色々と縛られ、人を治すはずが、人を診ていないような日々でした。

勿論、貴重な経験や臨床の研鑽など、得たモノは大きく、独立した今、それらの経験が実を結んでいると実感はします。

ですが、やはり、当時の向き合い方や寄り添い方には納得のいくものではないため、心療カフェを始めてからは、改めて『精神療法とはなんだろうか?』ということを日々考え、常に自分が何のために臨床をしているのかを考えるようになり、研修会や勉強会は怠るわけにはいかないと感じています。

実際、臨床に入ると、担当させて頂く方の主治医がどのような治療方針を持っているのかを把握することが大事になり、主治医の診断との照らし合わせや、処方薬など、カウンセリングという場でしか見えない顔がありますから、ただ、話を聴き、それでおしまいでは、専門家としての質が疑われるため、信頼関係に影響が出たりしますから、様々な観点から総合的に診る目を養い、伝える際には言動等に注意が必要だと感じます。

ただ、カフェ及び出張、真夜中の相談含め、年間5000件以上の相談を聴かせて頂いている今、私がお金を頂かない点に不思議に思う方がいて、「どうしてなのか?」と、しばしば質問されるのですが、『ポリシー』という他なく、、、

クリニック時代、『お金の切れ目が縁の切れ目』ということも経験しましたから、辛い、しんどいと感じていながらも、気持ちを吐き出すのに、お金が必要だと思うのは、益々辛いことだと感じますし、そのために行き場を失くしてしまう方もいますから、珈琲や紅茶を飲みながら、気兼ねなく気軽に抱えている悩みや愚痴といった感情を吐き出せる場所が必要なのだと、臨床をしてきて思います。

そして、人との価値は、プライスレスですから、私は関わるクライアントさんや、カフェのお客さんに感謝しかない今日この頃。