『富山研修を振り返り』

真夜中の相談を聴いていますと、時折、「これは虐待かな?」と、感じる相談を受けることがあるわけでして、今回の富山研修に参加した理由の一つである『児童虐待に関するケーススタディ』において、保健師さんたちの考え方や、事例を聴かせて頂くに当たり、その前段階として読んだ、児童精神科医の友田明美先生著書『子どもの脳を傷つける親たち』という本の中に書かれていた、虐待を受けた/受けている児童における脳の発育についても、個人的に関心がありました。

残念ながらその観点は今回触れられず、ケーススタディでは、母親のうつ症状や、アパシー(無気力/無関心)に対するケア等の事例が紹介されたりしていました。

そしてそれは、以前に受けた地域保健の保健師さんの講演会においても『児童虐待防止』における求められるポイントだと、説明されていたことでしたから、まだ記憶に新しく、確かに、育児放棄(ネグレクト)する前に保護者のケアは、児童虐待を防止する上では大事な要素ではあるかと思います。

ですが、人の悪い癖といいますか、『マニュアル/指示待ち人間』が増えているため、今は自分で物事を沈思しない傾向にあるため、何かが決まると、それがバイアスとなり、その点ばかりに意識が向き、『物事の本質』、ここでいうならば、『保護やケアを必要とする児童』そのものが置き去りにされてしまう危険についても考える必要があるのではないか、と、クライアントさんの事例を用いながら先生方に説明させて頂きました。

特に最近の学校教育において見ましても、何かと保護者の意向が強く、無理難題で、児童の喧嘩や悪さに対して指導したことが、「体罰だ!」と訴えてくる『モンスターペアレント/毒親』がいますから、保護者との友好関係などを構築しておくことは、物事を円満に解決する上で大事なことだというのは理解しますが、だからといって、本質である『児童』そのものが透明化されては、本末転倒であると、私は思うのです。

少し話は変わりますが、『虐待』という言葉が広く言われるようになったのはいつ頃からかと思い調べていますと、1970年代とあり、研修に先駆けて読んだ『子どもの脳を傷付ける親たち』においても、※1フェミニズムとの関係について触れられていました。
誤解があってはよろしくないのですが、女性の社会進出が進み始めた頃から核家族における子育て問題が言われ始め、『虐待』という言葉も広まり始めたように感じます。

個人的なことになりますが、私は女性の社会進出は当然の権利であり、様々な分野で女性が活躍されている現代社会において、フェミニズムの先駆者の一人である『平塚らいてう』などの手記を読むに、当時、いかに女性に対する蔑視が強かったかが伺えるだけに、今の女性の社会進出へと繋げた彼女らの功績には、感銘を受けている一人ですから、未だに職業差別がある中ではありますが、女性の社会進出がこれからも広がりを見せてほしいと感じています。

その一方で、『児童虐待』にフォーカスを当てますと、児童に対する男性の虐待だけでなく、児童に対する女性の虐待も増えたことは否めないわけで、現代社会では母子/父子家庭や、貧困家庭などの問題があり、育児や家事、仕事との両立に喘ぐ声が寄せられ、ストレスフルな社会である分、子育てには、お父さんの協力、地域での支援というのが、いかに大事であるかを考え、実行していく必要があるかと、改めて思います。

ただ、今でも高齢の方とお話をすると、「育児=女の仕事だ」と、発言をされる方などがいるわけで、その溝というのか、価値観は拭えないように感じる反面、その価値観(=固定観念)は、当時の教育や社会的風潮から作り上げられた部分も否めないわけですから、むしろ、誤った教育や風潮がいかに恐ろしいか、人格を形成する上で影響が出るのかを教えているようにさえ、私には感じます。

とはいえ、最近はその風潮などは緩和され、男性の方が育児に参加したり、育児休暇を取ったりと、変わりつつあるわけで、一方的な価値観は減ってきたかと思われます。

ところが、それと平行するように今度はスマホやSNSなどのネット環境の普及により、子どもとのスキンシップやコミュニケーションが減ってきたという問題が起こり、そのことから生まれる児童の弊害が報告されるようになり、友田先生の著書には、※2代理ミュンヒハウゼン症候群における『医療虐待』が、最近、問題となっていると指摘されていて、虐待としての認知が遅れてしまう危険と、知らずに虐待に誤診という形で荷担させられてしまう危険について触れていました。

今回の研修においても、代理ミュンヒハウゼン症候群における隠れた虐待事例が、1例挙げられていて、発見に至るまで時間がかかり、それまで複数の薬が処方され、必要がないにも関わらず服薬していたというので、顔が浮腫(むくみ)、悪心なども副作用としてあったと、資料に書かれていました。

こういった扱いを受けてた/受けている子たちをchild maltreatment(酷い扱いを受ける子ども)と呼び、パーソナリティー障がいや、解離性障がいなどを引き起こす危険があるわけで、ACなども虐待からの影響として知られていることですから、本当に虐待とは、百害あって一利なしだと思わされます。

さらに、私が特に関心ある部分ですが、友田先生の著書には、虐待による脳の発育への影響についても考える必要があると書かれており、しばしば誤解されることですが、児童は直接的なDVでなくとも、間接な影響を受けやすく、強い刺激(親の喧嘩や暴力的な場面)を受けた子の脳の反応を調べますと、視覚野が縮み、直接的にはDVを受けていないにも関わらず、自らが受けたDVと同じ反応が見られたそうです。

また、虐待を受けた人の脳を調べたところ、身体感覚を想起する部位である『楔前部(けつぜんぶ)』から伸びる神経ネットワークが、密状態にあり、そのことから危険から身を守る神経ネットワークが過剰に形成されていることが分かりました。そして、『痛みや不快、恐怖といった体験』、『食べ物や薬物』への衝動に関する『前島分』にも影響を及ぼしていることが分かったそうで、意思決定や共感などの感情コントロール機能である『前帯状回』の回路においても、密にあるはず場所にも関わらず、密度が非常に低いと言うのが分かり、いかに虐待が脳に影響を与えているかという有意性が見られたそうです。

さらに、育児ストレスによる抑うつが高まると、人は『共感性』に関わる前頭葉の活動低下を引き起こしてしまうため、我が子に対して、可愛さなども失われると言うのも分かっているそうで、そのことから、今回の保健師さんたちとの研修において、児童虐待防止における保護者のケアが必要なのだと、紐付けることができるわけですが、人間とは、初めから育児スキルや、親としての資質があるわけではないということを、保護者に理解してもらうことも大切なのではないでしょうか?

特に今はスマホの普及で、ネット情報に溢れている分、周りと比較しやすい環境下にありますから、不安や焦りなども感じやすいわけですが、子どもと関わり合うことで、『オキシトシン(愛情ホルモン)』が分泌され、脳が子を守ろうと働きかけることが分かっているので、今持っているスマホを置き、画面と向き合うのではなく、まっすぐにその子を見てあげてほしいと、私は切に思います。

そして、ママ一年生、パパ一年生とは、よく言ったもので、三位一体となり、子どもと共に心と身体を育み、子どもと共に成長していける環境作りが、子育てにおいて大事な要素の一つだと思う今日この頃。

※1フェミニズムとは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称。政治制度、文化慣習、社会動向などにおいて、性別による格差なく平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想または運動であり、男女同権主義に基づく、女権拡張主義、女性尊重主義とも呼ばれている。

※2代理ミュンヒハウゼン症候群とは、子どもに病気を作り、献身的に面倒を見ていますよと、周りに知らせることにより、自らの心の安定をはかる、子どもの虐待に おける特殊型。 加害者は母親が多く、医師がその子どもに様々な検査や治療が必要であると誤 診するような、巧妙な虚偽や症状を捏造するケースが多い。