昨日は3時まで真夜中の相談を聴かせて頂いておりました。

その中で、感じることですが、コロナ禍が緩和する一方、リモートワークから出勤へとシフトする企業や、部活動の再開なども増えた分、最近、『上司、先輩、先生』に対しての相談が多いなぁと感じます。

そういう彼ら彼女らの意見を要約すると、「自分のことを下に見てきて、対等に見てくれない/一人の人として見てくれない/頑張りを認めてくれない」などの感覚を抱いているようで、確かに、自分のことしかない陰険な人がいますから、そういう『上司、先輩、先生』に当たった人は大変でしょう。

でも、全てがそうだとは言えないわけで、自己意識(思い込み)が強く働いているために、そう感じてしまっている人や、反対に、自分自身が他者に対してそういう態度を取っている人もいるので、自分ができる範囲での認知行動療法である訓練(認知修復)をしてもらい、それで会話ができるようになった、勘違いだったという人もいるため、会話が断絶された社会の弊害は、大きいなぁと、実感します。

特に最近は、ネット社会であるため、Chat GPTにおけるニュースや、今日の朝日新聞では、アプリに対する規制に関する記事があり、わざわざ人から教えられなくても調べたら(ググれば)欲しい情報が出る時代ですから、大学に行かなくていいと、仰る芸能人や著名人までいて、『学び』それ自体が奪われているように感じてなりませんね。

そして、顔を見ての会話が減り、ネットを通して顔を知らない相手だからこそ、非難や否定が容易で、前に『ラストマン』というドラマにおいても、それに対する問題を含んだストーリーになっているぐらい、気付いている人はその危険に対して訴えたいと、感じているのではないでしょうか?

また、『自由で孤立した社会=SNS』が発展した現代社会において、改めて矛盾/対立という側面に目を向けながら、『自由/快適』について見直す必要と、共同体としての社会認識の構築について思考しながら、『受験や就活的な目的とした教育』ではなく、『社会的な発展において必要な要素を含んだ教育/教養』についても考える必要があるのではないかと、私は児童心理学研究のフィールドワークや直接のカウンセリングを通して感じています。

なんというのか、私は尊敬する恩師が沢山いて、いつも多くのことを学ばせて頂くだけに、最近の相談などを聴くに、『師に逢わざるを不遇』だなと、感じていたり、海外と比較し、日本人は問題提起しながらも、やはり自身の意見や考えを言えない人が多かったり、誰とは言わないですが、最初から論破という意識だけで、揚げ足取りをし、有意義な意見交流ができない著名人や、断定的で偏見的な価値観の専門職者を見て、それに感化される若者が増えている分、リベラル化や国際化を進めるのは良いと思いますが、その分、今の社会の問題にも目を向けてほしい今日この頃。

PS:子ども討論会の子らにおいても、自分が生きる社会に対して、『社会が悪い』と悲観する子がいますが、『自らが社会を形成している一人である』という認識と、視点の変換、発想を持ってほしいため、彼ら彼女ら自身に対して、この9月までの4ヶ月間、『自分に何ができるか』を問いてほしいと、切に願います。