こんばんはおねがいブログにご訪問いただきありがとうございます照れ


これまで当ブログではプチグルテンフリー生活など米粉のスイーツや料理を中心に書いてきました。

今までプチグルテンフリー生活について読んでいただいた方、ありがとうございました照れ

これからも米粉のスイーツや料理、時短料理、などのお料理についても書いていくのですが

私自身が経験して学んだことを書いていきたくプロフィールなどを改めました。
以前は励ましのお言葉などありがたくいただいておりましたが今回は私個人の実際の体験のためコメント欄は閉鎖しました。


乳がんのこと
旦那の不倫家出のこと
やり直し夫婦であること
週5日働くワーママなので時短料理のこと

私自身が経験したことを通して学んだこと、今まさに悩んでいる方に見ていただけたらと思いますショボーン


タイトル 
旦那が戻って来てからの苦しさ、ずっと横柄な態度のシタ夫




祖母の葬儀を終え、またいつものように子ども達は幼稚園があり私と旦那は仕事があり、表面上は今までと同じような生活でした。

夜になって子ども達を寝かしつけた後、旦那と話し合います。

旦那「今すぐ離婚は出来ないけど、離婚するつもりだから。今はここに居るけどいずれこのアパートも出て行くから。」
「やり直すって言ってなかった?」
旦那「この前も言ったけどお前のこともう好きじゃないし、相手(浮気相手)とも別れたからあきともわかれる。」
「今の生活の中でどうやって別に住居構えるの?そんなお金あった?」
旦那「俺1人なら暮らして行けるし。お前がもっと収入上げるしかないんじゃない?」
「ごめんなさいと泣いて謝ってきたのあなたよ?結局別居するんだったら今すぐここ出て行ってよ!どんだけ人のこと傷つけて混乱させてると思うの?」
旦那「知らねぇよ、俺は親に言われたから戻ってきただけだから。お前とやっていくの無理だから。」
「親に言われたから?自分の気持ちじゃないってこと?」
旦那「通勤のことあるから、ここにいるだけ。俺はなぁ、家事も子どもの世話もしたくねぇんだよ!お前が1人でやれよ母親なんだから!家事もさせる子守りもさせる、お前となんかもう無理なんだよ。」
「ちょっとお前黙ってろ。実家から父と母に来てもらうから。」
実家の父に電話しました。

実家の父に来てもらって、改めて話しました。

ボイスレコーダーを父に持ってきてもらっていました。

「本音ではやり直すって気持ちなくて、親に言われたから戻ってきたんだって言ったよね?」
旦那「はい。」
「あの、こちらとしては別居するならそれなりに費用を請求するからね。」
旦那「なんで俺があきの生活費を払うの?」
「法律の問題なんだけど。婚姻関係だからねまだ私たち。あなたが養育するの義務だから。」
旦那「なんで俺が?じゃあ今すぐ離婚して、お金は払わない。」
私の父「○くんさ、自分のしたことわかってる?そんな理屈通らない。こっちは子ども二人抱えてる。父親として生活の面倒見るのが当然だろう?口出したくないけど、あんまりひどいんじゃないか?」
「頭にきた。もうやり直すっていうのはなしで!もう無理!こんな無責任なあほとやっていけない!ほんっと気持ち悪い男だな!」
旦那「アパート見つけてすぐ出ていきます。お金は払います。いくらですか。」
「ここに書くから、お前サインしろ。自分の不貞行為により別居する、生活費を○○円毎月振り込む、って。今後離婚が成立するまでの生活費養育費毎月○○円振り込んでもらいます。」
旦那「はい。」

ここで念書を書かせました。法的効力は正直わかりませんでしたが、ボイスレコーダーで録音しただけでは不安だったので、すぐ思い立って書かせました。

その金額というのは毎月200000円。
少ないですが旦那の収入を考えるとそれ以上は思いつきませんでした。

旦那はうちの父親にズバッと言われて急に萎縮しました。しかし待てど暮らせどアパートを見つけて来ず、ずっと家庭内で別居している状態でした。

トイレやお風呂、車の中で1人になると涙が止まりませんでした。子ども達の前では努めて平常心を保ち、子ども達がいることで救われました。近所に住む妹や母や父に協力してもらいながら毎日を普通通りに暮らすことで精一杯でした。

旦那は日に日に汚れていきました。
風呂も入らず洗濯もせず、別室でひっそりと暮らしていました。何日かすると時々シャワーを使っているようでした。仕事には行っていましたが、会社でも居心地は良くなかったでしょう。

私は旦那の食事も用意していましたが、手をつけず家では食事していませんでした。毎日菓子パンなどでしのいでいたようです。

業務連絡というか必要最低限の話があり声をかけると「あぁ?」とキレ気味に返され、嫌な思いをしました。

そんな生活がしばらく続き、私から話し合おうと声をかけました。

「もうずっとこんな風に暮らすの嫌だよ。どうするの?」
旦那「ごめん。」
「私たち子どものこともあるし、どうにかやり直すしかないんじゃないの?」
旦那「はい。ごめんなさい。」
「今までだって、お互いに良いことばかりじゃなかったとしても、結婚しようと決めて子ども達もいて、一緒にやってきたでしょう?もう意地はらないで自分のしたことを反省してよ。」
旦那「ごめん。わかった。」
「私が言いたいのは、あなたは私にとったら結婚しようと決めた特別な人だった。父や母や妹よりも、夫であるあなたを1番信頼していたの。両親や妹も世話になってるし家族だけど、あなたのことを1番信頼していたの。これまで付き合ってきた人達いてね、その彼たちと真剣に付き合っていたけど、唯一あなだが結婚に至った人だから、あなたは私の特別だった。その私の特別な人だったのに、そうじゃなくなった。あなたが自分でそれを終わりにした。」

私は用意していたわけでもなく、自分の気持ちが溢れました。私自身でもその時に気付いたことでした。私にとっての特別な人だったから裏切られて辛かったんだと。

旦那は泣いていました。泣かれるのはもう、慣れてしまってなんとも思いませんでした。

旦那と付き合っていた時に、正直何度も別れようとしました。住んでいた環境が違うからなのか、合わないなと感じることが多くて。当時から嘘つきでしたし、何度も別れようとしました。ところがその度に泣き落とすのです。別れを切り出し逃げ切れなかったのは、同じ職場だったからかも知れません。

私は勘違いしていました。そこまで私のことを思ってくれていると。そんなにも必要とされているのかと勘違いしていました。結婚するなら愛するより愛されていた方が幸せだ、そう思っていました。

これから結婚を考えている方は、ご自身の感覚を大事にしてほしいと思います。違和感から目をそらさず、結婚適齢期などを気にせず、ご自身の感覚を信じてほしいと思います。
別れたいと言った時に泣き落として引き止めるのは愛ではありません。
小さい子どもが気に入ったオモチャを買ってくれ買ってくれと泣きわめく、その涙と一緒です。

相手が好いてくれることも大事ですが、ご自身の気持ちもとても大切です。

この日からは私も旦那も、よそよそしくも平常心を装い仮面夫婦になっていきます。
家事も育児もしたくない、そう言われたので家事も育児も頼むのをやめました。
この年は雪が多くよく積もりましたが、雪かきも私1人でやりました。

祖母を失って傷ついた心にも、旦那に裏切られて傷ついた心にも、蓋をしました。

この2年後に乳がんが発覚しますが、我慢して我慢して溜め込んでしまったストレスが悪かったのではないかと思いました。