13才のミャンマー人少年が東京の街で訴える‼
13才のミャンマー人少年が東京の街で訴える。
「みなさまの力が必要です」と。
平和ボケ、民主主義の機能していない日本で訴えてもなあ❓
とも思ってしまうのだが、日本は今の所、街頭にいても安全だ!
ところが、ミャンマーは軍事クーデター以来、そうではない!
軍事政権が民主派勢力を弾圧して殺し、民主派勢力が潜んでいると都市部や少数民族の村を無差別爆撃して多数の市民を殺傷しているのだ!
このミャンマーの軍事政権を勝共連合(統一教会)を立ち上げた笹川良一の笹川財団、今の東京財団や日本財団らの日本人が支援している!
笹川良一の運転手をしていた松井良夫は大阪維新を立ち上げた松井一郎の父親だ。
従って、勝共連合(統一教会)とも繋がりが深い。
小池百合子は笹川良一の息子、笹川堯元自民党衆議院議員や日本財団会長の笹川陽平に選挙支援されている。
↓以下、参照はwikipediaより↓
公益財団法人日本財団(にっぽんざいだん、英: The Nippon Foundation)は、公営競技の1つである競艇(ボートレース)の収益金をもとに、海洋船舶関連事業の支援や公益・福祉事業、国際協力事業を主に行っている公益財団法人。1962年(昭和37年)、笹川良一によって創立された。現会長は笹川陽平。なお以下名前を略す場合、混同を避けるため、下の名の「良一」「陽平」で記す。
↑笹川良一と一緒に勝共連合(統一教会)を立ち上げた岸信介元首相は、安倍晋三の爺さんだ。A級戦犯でもあった。
竹中平蔵は東京財団の理事長をやっていた。統一教会の文鮮明教祖の立ち上げた日韓トンネル構想の推進者だ。
国民民主党の玉木雄一郎代表も東京財団に所属していたという。
連合の芳野友子会長はかつて、富士政治大学校で反共イズムをたたきこまれた。
1984年、彼女は18歳でJUKI入社、1年後組合活動に携わる。そこで共産党系の組合に対する批判的な指導を受けたという。この富士政治大学校(富士社会教育センター)の元理事長が松下正寿であった。
↓松下正寿↓元参議院議員
強固な反共主義者として知られ、民社党系の核禁会議の結成に尽力した。1970年代以降、文鮮明を師と仰ぎ、世界平和教授アカデミー会長、世界日報論説委員、宗教新聞社社主を務めるなど統一教会の関連団体で要職を歴任した。
↑要は岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三の安倍家三代の安倍派は裏金を作り、統一教会を日本社会に根付かせたのだ。
そこに岸信介とともに勝共連合(統一教会)を立ち上げた笹川良一、児玉誉士夫が加わる。
安倍派(清和会)には裏金の森喜朗、小池百合子、萩生田光一らも所属していた。
笹川財団と関係の深い維新の松井一郎や竹中平蔵が加わる。
小池百合子は東京都知事選挙で笹川堯、陽平兄弟に支援されている。
さらには富士政治大学校で統一教会の文鮮明を師と仰ぐ松下正寿の反共教育を受けた連合の芳野友子会長が加わる!
もはやウソつきやヒルトホテル食器窃盗の小池百合子の人間性が問題ではない。利権にありつける都知事としての権威が必要なのだ!
さて、ミャンマーの話に戻ろう!
この13才のミャンマー人の子供をして東京の街頭で、
「みなさまの力が必要です」と呼びかけさせる原動力とは、国を憂える感情だ。
この笹川財団に支えられた岸田文雄自公政権は未だに民主派弾圧を続けているミャンマー国軍の支援を続けている。
おかしいだろう!
↓東京新聞が報じた↓
↓
13歳のミャンマー人少年は、東京の街で訴える 「みなさまの力が必要です」 故郷で苦しむ同級生のぶんまで
2024年7月7日 12時00分
<ミャンマーの声>
3年前に軍事クーデターが起きたミャンマーで苦しむ人々を支援するため、東京都内の街頭で募金活動を続けるミャンマー人の少年がいる。区立中学2年のナインさん(13)。胸の中にある母国への思いを聞いた。(北川成史)
3年前に軍事クーデターが起きたミャンマーで苦しむ人々を支援するため、東京都内の街頭で募金活動を続けるミャンマー人の少年がいる。区立中学2年のナインさん(13)。胸の中にある母国への思いを聞いた。(北川成史)
「森の中の避難民キャンプでは食料や薬、衣類が不足し、子どもたちの勉強道具もありません。皆さまの力が必要です」。6月上旬の日曜、ナインさんはJR高田馬場駅前で在日ミャンマー人の仲間と声を上げた。
◆コロナ禍で対面授業中止、父が働く日本へ
ミャンマーが軍政下の2010年、同国人の両親のもと、都内で生まれた。父(53)は1988年にミャンマーで広がった民主化運動に参加後、国軍の弾圧を逃れるため日本に来た難民だ。
ミャンマーはその後、いったん民政移管。2015年、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙で圧勝した。ナインさんは国の発展を期待する母(48)とミャンマーに渡った。最大都市ヤンゴンで私立学校に通ったが、20年、コロナ禍で対面授業が中止になったため、父が働く日本に。滞在中の21年2月1日に起きたのが軍事クーデターだった。
◆朝起こされると「軍が国を乗っ取った」
「朝7時ごろ、お父さんに足を揺すられ、起こされた。『軍が国を乗っ取った』と。『何を言ってるの』と思った」。実感が湧かなかったが、ヤンゴンでの抗議活動や国軍による弾圧に関する動画が、ナインさんの元に親せきなどから次第に届くようになった。
同年5月ごろ、ナインさんは募金活動に参加し始めた。「クーデターはすぐ終わると思っていた」。しかし、国軍は強硬姿勢を崩さず、民主派との内戦に発展。人権団体によると、国軍によって5300人以上の市民が殺害された。民主派が樹立した「挙国一致政府(NUG)」は子どもの死者が800人を超えたと主張する。また、国連の推計で約300万人の国内避難民が発生している。
「僕より未来がある幼い子が山や森の中に避難している。教育を受けられず、人生が無駄になる恐れがある。胸が苦しい」。ナインさんは心中を吐露する。
◆「自分だけ安全な海外にいて、情けない」葛藤
ヤンゴンにいる同級生には「おまえ、日本にいて本当に運がよかったな」と言われた。学校周辺にも国軍兵士や警察官がうろつき、「下手なまねはするなよ」と圧力をかけている雰囲気なのだという。
「自分だけ安全な海外にいて、情けないなという気持ちもある」。ナインさんは葛藤を抱えながら、同級生らを気遣う。「あいつらのほうが優秀なのに。軍が子どもたちの夢を壊し、未来を見えなくした感じだ」
ミャンマーでは当局の監視が強まり、デモやSNSで国軍を批判するのは難しい。「代わりに自分が声を上げたい。子どもの声を聞いてほしい」と願う。
日本で航空技術を学び、軍政が終わったミャンマーに戻って伝えたいとナインさんは望む。そして、同国の若い世代に思いを向ける。「少しでも幸せにできることはないかを考え、できる限りの支援をしたい」