菅義偉元官房長官は7年8ヶ月の在任期間中に86億8000万円の官房機密費を受取り、その全てが使途不明金となっている。
菅義偉元官房長官
官房機密費86億円→使途不明金
二階俊博前自民党幹事長
政策活動費50億円→使途不明金
茂木敏充自民党幹事長幹事長
政策活動費11億円→使途不明金
と国の予算が何に使われたか分からないままに1個人に支出されている!
彼らは長年に渡り裏金を作っていた自民党幹部でもある‼
官房機密費は一部は野党やマスコミ対策に使われたと囁かれているが、巨額資金はそのほとんどが藪の中、選挙に支出されたとすれば、裏金を作る信用出来ない自民党政権が民主主義までをも破壊しているとしか言いようがない!
この官房機密費や政策活動費の使用用途を全て明るみにして欲しいものだ!
↓しんぶん赤旗より↓
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菅氏、1日307万円×2822日支出官房機密費の“つかみ金”86億円超
総裁選中もきっちり使う
菅義偉首相が内閣官房長官に在任した7年8カ月余(2822日)で自身に支出した内閣官房機密費(報償費)は86億8000万円超だったことが、本紙が情報公開で入手した資料で判明しました。支出した官房機密費の総額95億4200万円余の90・97%を菅氏は、自身の“つかみ金”として1日平均307万円をつかった計算になります。(矢野昌弘)
〈中略〉
1日平均300万円までつかうことが“既得権益”になっていなかったのか。官房機密費のあり方とともに菅氏の姿勢が問われます。
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↓日刊ゲンダイが報じた↓
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衆院議長の私邸にまで届いた“札束の山”...そこから与野党への分配が慣行に
公開:
衆院事務局33年、参院議員12年と、半世紀近く政治のど真ん中にいた。宮沢喜一首相から「永田町のナマズ」と、皮肉なニックネームをつけられたこともある。不名誉の言い訳に私が衆院事務局時代、内閣機密費に「仕事」として関わったことを話しておく。
多くの人たちは、昔から内閣機密費が大量に政党や政治家に流れて、政治を動かしてきたと思っている。内閣機密費がそうなったのは、
昭和41年ごろからだった。理由は米・ソ冷戦下で、本来の機密費の役割である安全保障のための対外情報の収集や対応は、米国がやっていたからだ。
佐藤栄作内閣が「戦後政治の終局」ということで、韓国との国交回復対策に韓国の政界・財界・マスコミに巨額の費用を使った。予算がなく政府が銀行から借金をした。昭和40年だった。借金の返済や対外対策に昭和41年度予算で、内閣と外務機密費を大幅に増大した。それまで
自民党政権の国会対策の経費は、政権派閥の裏金が主流だった。
その時、私は園田直衆院副議長(自民)の秘書で、園田副議長のところに佐藤内閣から届く個人的機密費を管理していた。昭和42年11月に園田氏は厚生大臣に就任して、私は事務局に復帰した。
裏金まみれ(C)日刊ゲンダイ500万円の内閣機密費を「恒例のものです」
そして6年たって前尾繁三郎衆院議長秘書になる。昭和48年5月だった。7月中旬、田中角栄内閣の二階堂進官房長官が、前尾議長私邸に「500万円」の内閣機密費を持参した。「恒例のものです」と置いて帰った。前尾議長は二階堂官房長官が玄関を出るなり、100万円ずつ白い封筒に入れた紙袋を廊下に放り出し、私に「こんなことをするから、日本に民主政治が育たないんだ!」と怒って、私に処分しろと命令する。困った私は、100万円が入った封筒を拾い集め紙袋に入れ、国会に持ち帰り知野虎雄事務総長に相談した。
知野事務総長は「4、5年前から、そんなことが始まっているようだ。前尾議長ならそう言うだろう。君が与野党の理事に丁重に渡しておくことで処理しては」とアドバイスをしてくれた。私は、野党第2党になって厳しく自社55年体制を批判していた共産党を除き、自・公・民の理事に届けたところ、公明は受け取らなかったので、品物に代えて三越本店から「お中元」を送った。
残余のカネは議運委員長に渡した。園田副議長時代は個人として処理をされたものが、慣行となっていたことに驚き、内閣と国会の関係がこれでよいのかと心配になった。
昭和51年12月の任期満了まで、中元と歳暮の時期に8回配分した。2年目から公明党が受け取るようになった。社会党の理事の中には、時期になると「平野君まだか」と声をかける者もいた。この慣行が現在もつづいているか、別の形となっているかは知らない。
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↓しんぶん赤旗より↓