裏金まみれ(C)日刊ゲンダイ

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500万円の内閣機密費を「恒例のものです」

 そして6年たって前尾繁三郎衆院議長秘書になる。昭和48年5月だった。7月中旬、田中角栄内閣の二階堂進官房長官が、前尾議長私邸に「500万円」の内閣機密費を持参した。「恒例のものです」と置いて帰った。前尾議長は二階堂官房長官が玄関を出るなり、100万円ずつ白い封筒に入れた紙袋を廊下に放り出し、私に「こんなことをするから、日本に民主政治が育たないんだ!」と怒って、私に処分しろと命令する。困った私は、100万円が入った封筒を拾い集め紙袋に入れ、国会に持ち帰り知野虎雄事務総長に相談した。


知野事務総長は「4、5年前から、そんなことが始まっているようだ。前尾議長ならそう言うだろう。君が与野党の理事に丁重に渡しておくことで処理しては」とアドバイスをしてくれた。私は、野党第2党になって厳しく自社55年体制を批判していた共産党を除き、自・公・民の理事に届けたところ、公明は受け取らなかったので、品物に代えて三越本店から「お中元」を送った。


残余のカネは議運委員長に渡した。園田副議長時代は個人として処理をされたものが、慣行となっていたことに驚き、内閣と国会の関係がこれでよいのかと心配になった。


昭和51年12月の任期満了まで、中元と歳暮の時期に8回配分した。2年目から公明党が受け取るようになった。社会党の理事の中には、時期になると「平野君まだか」と声をかける者もいた。この慣行が現在もつづいているか、別の形となっているかは知らない。

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↓しんぶん赤旗より↓