小池百合子の学歴詐称、カイロ大学は実質的に共犯者‼ | 春の兆し

小池百合子の学歴詐称、カイロ大学は実質的に共犯者‼

2024.4.15(月)黒木 亮

カイロ大学のマスコミュニケーション学部を卒業し、エジプト政府の機関で働くジャーナリストは、やはりサダト政権・ムバラク政権下において、多数の“不正卒業証書”が発給されたと指摘する。

 日本の公的組織に勤務するカイロ大学卒の管理職のエジプト人男性は「金やコネでカイロ大学の卒業証書を手に入れることは、十分あり得る。日本の重要人物の関係者ならば、日本との関係をよくするために、エジプト政府と話してのことかもしれない」と言う。


日系新聞社のカイロ支局にリサーチャーとして勤務する女性は「政治家が『この人物を卒業したことにしろ』と言えば、当然、卒業したことにされて、“不正卒業証書”が発行される」と述べる。

 小池氏は、このような「complementary certificate」を手に入れられる強力なコネを持っていた。すなわち小池氏の父、勇二郎氏が、当時のエジプト副首相兼文化・情報相アブドル・カーデル・ハーテム氏と昵懇で、カイロ大学入学に際しても、同氏の働きかけで「関西学院の数ヶ月間とカイロ・アメリカン大学の数ヶ月間を足して1年間とみなしもらい、カイロ大学の2年生に編入できることになり、授業料も入学金も無料になった」と小池氏が喜んでいたと北原百代氏は証言している(もし本当なら、国の編入ルールに反する不正入学である)。


先のベテランのエジプト人ジャーナリストは「職員は入学記録や初年度の成績などを参考に成績表も偽造し、大学内の記録も含めて形式的に完璧にする。したがって書類だけを見れば瑕疵がない」と述べる。もし小池氏が持っている卒業証書類が「complementary certificate」ならば、小池氏の成績表や卒業生名簿(そのようなものがあるならば)等を含め、大学内の記録も卒業したように整っているということだ。

カイロ大学は実質的“共犯者”

 もし内部の記録も完璧に書き換えられ、小池氏が卒業したということになっていれば、カイロ大学の今の幹部らは、それに従って「卒業した」と答えるしかない。

 小池氏がカイロ大学2年に編入したのは1973年10月で、その前の一年間はカイロ大学に行っていないことは、北原百代氏が物証(手紙)によって明らかにしている。ところが、カイロ大学は、小池氏は1972年10月に1年生として入学したとしている。事実とまったく違うカイロ大学の説明は、彼らの内部記録が書き換えられている可能性を示している。


また小池氏は自著『振り袖、ピラミッドを登る』の中で「1年目は落第した」と述べている。その結果、早くても1977年にならないと卒業できない。しかし、カイロ大学は、小池氏は1976年に卒業したとしている。これは小池氏自身の著書の内容とも真っ向から食い違っており、やはり書き換えの可能性を示唆する。

 大学幹部らには小池氏を卒業したことにしたい別の動機もある。対外債務の返済負担にあえぐエジプトにとって、日本は主要援助国の一つで、援助獲得が至上命題の政権にとって非常に重要な国である。もしカイロ大学が、日本の有力政治家の卒業を否定したりすれば、エジプト政府から大学幹部がどういう処罰を受けるか分からない。


筆者が取材した際、カイロ大学の当時の文学部長アフメド・シェルビーニ氏は、「カイロ大学では2年前から小池氏に関する書類を出す場合は学長の承諾が必要になった」と述べた。通常ルートで正々堂々と卒業したのであれば、このような承諾は要らないはずだ。またカイロ大学の職員の1人は「小池氏の件は、政府の上層部が関与しているのではないかと思う」と話した。

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↓卒業証書の写真はピン留めされて割印がズレている↓文書も男性表現のアラビア語だと言う↓

小島氏が告発したカイロ大学の声明文に関し、伊東乾東大教授は〈「小池都知事学歴詐称問題」を別の角度で検証、大学の公文書とは何なのか〉(JBpress 2024年4月15日記事)の中で、カイロ大学の声明文は、形式や書かれている内容が基本メチャクチャなパチモンで、日本国内で、カイロはおろか国際的な大学実務とは無関係な人がものすごい急ピッチで捏造した「日本語の作文」を流布した可能性がきわめて高いと指摘している。