かつて自由党を裏切った小池百合子と二階俊博を公明党が救う!
1998年夏の参院選での自民惨敗。参院で過半数を割った「ねじれ」状態で発足した小渕恵三政権は、まず小沢一郎衆院議員が率いる自由党と連立を組み、次いで公明党を連立に引き入れ、99年10月に自自公連立が発足した。
平成12(2000)年4月、自由党は政権運営の在り方をめぐって自民党と対立し、政権離脱を決定。ところが、政権残留を望む議員が独立し、「保守党」を結成、自由党は分裂した。
この自自公残留を望む議員の中に小池百合子と二階俊博がいて、自民党に復党し、今につながる自公連立政権が誕生した。
この小池百合子と二階俊博が自民党に復党するのに選挙で支援すると保証したのが公明党東京都本部顧問の藤井 富雄だったと言う。
藤井富雄には山口組 後藤忠政組長を利用したと言う、たえず黒い噂がある。
↓wikipediaより↓
藤井 富雄(故人)
東京都議会議員(11期)、公明代表(初代)、公明党最高顧問、公明党東京都本部顧問などを歴任した
暴力団への暗殺依頼疑惑編集
後藤組の元組長の後藤忠政によれば元公明党最高顧問の藤井富雄が後藤のもとを訪れ、池田大作の名のもとに反創価学会の活動をしている有名画家A(仮名)や亀井静香ら4名の暗殺を依頼されたという[3]。また、共同通信社記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な亀井静香を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している[4]。暗殺リストに名前があった亀井は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議を行うこととなる[5]。後藤は著書の中で「池田大作が裏で何をしていたかといったら、山崎や藤井をパイプ役にして俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでももの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。」と批判した。
↑↑↑