霞ヶ関のドン、栗生俊一に木原誠二の影!
【独自】あなたは霞が関のドン「栗生俊一」をご存知か?「宮内庁次官」人事ゴリ押しでわかったこと
元警察庁長官の旧自治省パージ
2ヵ月が経ったいまも霞が関をざわつかせている人事がある。黒田武一郎元総務省事務次官の宮内庁次長への就任だ。
2022年6月の退官まで不祥事など難局続きの総務省を指揮した黒田氏は、菅義偉前首相や公明党元代表の太田昭宏氏など永田町の政治家の信望も厚い。総務省側からはもちろん、財務省側からも、次の事務方トップの官房副長官・待望論が強かったが、永田町や霞が関では「宮内庁次長は長官含みで、黒田副長官はなくなった」と見られている。「権力の座にこだわる栗生俊一・現副長官が主導した人事ではないか」という見方がある。なぜ、これが注目されるのか。
霞が関全体でみると黒田氏は、安倍晋三元首相の最側近、今井尚哉元首相補佐官が経済産業省に入省したのと同じ昭和57年(1982年)に旧自治省に入省。交付税課長のころから、小泉内閣の総務副大臣(当時)の菅氏から頼られるようになる。
黒田氏はかんぽ生命保険の不正販売の問題をめぐって前任者が更迭された2019年12月に次官に就任。その後は、東北新社やNTTによる接待問題など、相次ぐ不祥事が起きた組織トップとして訓告などの処分を何度も受ける受難が続いた。21年5月にはコロナのワクチン接種では、自治体への強力な働きかけを通じて、菅氏が掲げた「1日100万回接種」という目標の達成を影で支えた人物でもある。
一方、岸田文雄内閣が発足した2021年10月に副長官に任じられたのが、元警察庁長官の栗生氏だ。安倍・菅の官邸主導に代わって官僚から政治に対してあるべき政策像を打ち出す指導力が求められたのに、消極姿勢が目立った。もっぱらご執心なのは、内閣人事局長として握る霞が関の幹部人事。とりわけ、旧自治省を要職から外す「栗生の旧自治省パージ」は注目されてきた。
木原誠二が留任させた?
象徴として語り草になったのは、22年6月に前出の黒田氏を次官から退任させた人事。後任に、有力視されていた旧自治系の内藤尚志氏でなく、16年ぶりとなる旧総務庁系の山下哲夫氏を充てた。さらに復興庁や内閣府で旧自治系官僚が送り込まれることが想定された人事をくつがえしたり、すでにいた旧自治系官僚を閑職に追いやったりした。
そんな栗生氏自身に対しては「全省庁のトップとして機能していない」という声は同年末ごろから度々上がっていた。「なぜ留任なのか」といぶかっていたある経済官庁幹部は、「昨年の夏にようやく合点がいった」と語って続ける。
「首相の女房役の官房副長官、木原誠二氏の妻が前夫の死をめぐって事情聴取を受けていた過去を報じた『週刊文春』を読んで、『これか』と。自らの身辺に影響が及びかねない悩ましい過去があったから、木原氏にとって副長官は警察にグリップが利く警察官僚が望ましかったんでしょう」
ただ、一時は表舞台に出るのを控えた木原氏は、2023年9月の内閣改造で副長官を辞任して以降、禊が済んだかのように自民党幹事長代理として動きを活発化させた。官邸にも「党との連絡役」というかたちで頻繁に出入りしている。
栗生氏の存在感のさらなる低下がささやかれるなか、12月15日の閣議で決まったのが黒田氏の宮内庁次長への就任人事だ。国と地方の関係をめぐる大きな議論である沖縄の問題の解決などに使命感を持っていたとされる黒田氏。すでに周囲には「これが最後の仕事」と心機一転しているようだが、残された総務省や財務省では、「副長官ポストに居座ろうと栗生が人望の厚い黒田氏を遠ざけたのではないか」との声が上がっている。
政治倫理審査会での安倍派や二階派への追及など政治は混乱が続いている。今後、閣議決定した少子化財源の確保や防衛財源の確保に向けた法整備など、政官の総力が問われるような重大な政策決定を控えている。霞が関がしっかり結束できる体制が整うのか、注目される。