大和朝廷と国のまほろば! | 春の兆し

大和朝廷と国のまほろば!

奈良県奈良市から天理市に向かって車を走らせる。
天理市を越えて桜井市を走る辺りは古墳の宝庫だ!

まほろば鉄道が走り、文字通り『国のまほろば』だ。

大和(おおやまと)神社に山手には相撲発祥の地、相撲神社がある。
第11代 垂仁(すいにん)天皇の時代に当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が天覧相撲をとったと言う。

天理市と桜井市の境に全長130mの前方後円墳の黒塚古墳がある。
ここからは三角縁神獣鏡33枚が出土している。
築造年代が3世紀後半だと言われ、卑弥呼の生きた時代の少し後の時代になる。
卑弥呼が魏からもらった青銅鏡の一部ではないかとも言われている。

ここを過ぎると纏向エリアには大型前方後円墳の箸墓古墳がある。
第7代 孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)が葬られていると言われており、彼女が卑弥呼ではないかと言う説がある。
私は、この古墳と資料館には二度、訪れた事がある。

ここを過ぎると行燈山(あんどんやま)古墳があり第10代 崇神(すじんてんのう)の墓、渋谷向山古墳を第12代 景行天皇の墓と宮内庁により比定されている。

↓歴史人より↓

【ここまで変わった古代史】邪馬台国とヤマト政権には天皇の系譜に繋がる関わりがあった!?

【ここまで変わった古代史】邪馬台国とヤマト政権には天皇の系譜に繋がる関わりがあった!?

纏向遺跡は、2世紀末から4世紀前半のものとされる。邪馬台国の中心地に比定する説があり、最古の巨大前方後円墳とされる箸墓古墳と、それより古い5つの纒向型前方後円墳が分布する。

 付近には卑弥呼の墓とされる箸墓古墳もある。箸墓古墳は、3世紀末の古墳とされていたが、近年は3世紀中ごろの築造ともいわれている。

 纏向遺跡を邪馬台国とすると、ヤマト政権との連続性を想定することができるようになる。纏向の地は、「記・紀」の崇神・垂仁・景行の宮の所在地でもあり、卑弥呼の系譜に崇神をはじめとする初期天皇の系譜がつながる可能性もいわれている。

 考古学的にも纏向エリアの大型前方後円墳について箸墓古墳を卑弥呼として、西殿塚古墳を台与(とよ)、行燈山古墳を崇神、渋谷向山古墳を景行の陵とする構想もいわれている。

監修・文/瀧音能之

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知るは楽しみなり

↓箸墓古墳↓

↓箸墓古墳の時代↓