日本はナワリヌイ氏を暗殺したプーチンをなぜ、批判しない? | 春の兆し

日本はナワリヌイ氏を暗殺したプーチンをなぜ、批判しない?

プーチンの横暴を絶対に許してはならない。

欧米の首脳も全員、プーチン批判の論調を掲げている❗

ところが日本はどうだ⁉️

林芳正官房長官は、
「確定的な情報は有しておらず、コメントは差し控える」とコメントした!
官房長官は松野氏であれ林芳正氏であれ、いつも「コメントは差し控える」なのか?

ナワリヌイ氏はプーチンにより極北の地に送られて、前日まで元気だったにも関わらず、突然死しているのだ!

官房長官は最低でも「ロシアは真相を明らかにすべきだ!」とは言えないのか?

情けない❗

↓集英社オンラインが報じた↓

ナワリヌイ氏の急死で世界が激怒する21世紀最悪の殺戮者・プーチンの暗殺の歴史…それでも日本政府が弱腰な背景とは

集英社オンライン

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プーチンの殺戮リスト

ナワリヌイ氏の急死で世界が激怒する21世紀最悪の殺戮者・プーチンの暗殺の歴史…それでも日本政府が弱腰な背景とは
死亡した露反体制派ナワリヌイ氏  写真:AP/アフロ

2月16日、ロシアの反プーチン派活動家のアレクセイ・ナワリヌイ氏が収監先の北極圏の刑務所で急死した。47歳だった。

【写真】ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポルポトに匹敵する21世紀の殺戮者・プーチンの肖像

ナワリヌイ氏の急死に歯切れの悪い日本政府

ナワリヌイ氏は2000年代よりネット上でプーチンを鋭く批判する活動で注目を集めたブロガー・政治活動家で、2020年8月には秘密警察「連邦保安庁」(FSB)によって軍用毒物「ノビチョク」を使って毒殺されかけた。

仲間の尽力でドイツに移送されて手当を受けて九死に一生を得たが、回復するとプーチン政権への批判活動を続けることを宣言して翌2021年1月にはロシアに帰国。帰国と同時に空港で逮捕され、劣悪な環境の監獄を転々とした。その間、まだ40代ながら急速に体調を崩していった。ロシア当局による虐待疑惑が濃厚で、その結果、今月の急死である。

ロシア当局は死因について「散歩した直後に気分が悪いと訴え、直後に意識を失い、そのまま死亡した」と発表したが、ロシア当局の発表には信憑性は微塵もない。直接の死因は不明だが、プーチン政権によって心身を極度に痛めつけられ、死に至ったことは明白だ。

つまりプーチンによる「密殺」である。

著名な活動家の獄死に、各国の首脳はあいついで強い言葉でプーチンを非難した。

「激怒している。間違いなく死の責任はプーチンにある」(バイデン米大統領)
「ロシアでは自由な精神は死刑を宣告される。怒りと憤りを禁じ得ない」(マクロン仏大統領)
「ロシアはもう民主主義国家ではない」(ショルツ独首相)
「プーチンがいかに怪物であるか全世界が思い知らされた」(トルドー・カナダ首相)
「恐ろしいニュースだ。プーチン大統領個人に責任がある」(クリステション・スウェーデン首相)
「ロシア政権に全責任を負わせる」(ミシェルEU大統領)


それに比べると、日本政府の歯切れは悪い。

「確定的な情報は有しておらず、コメントは差し控える」(林芳正官房長官)

実際のところ、日本は西側主要国で最もロシアに対する批判を言わない国だ。特にプーチンを名指しで非難することは極端に避けている。そこは他の西側主要国とは雲泥の差だ。

これには理由がある。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻まで、歴代の日本の政権がプーチンに好意的なスタンスをとり続けてきたからだ。

プーチン政権と友好的な政治家3人と脅威を無視した外務省

それは日本政府が「プーチンの機嫌を損なうと北方領土返還が遠のく」と勝手に思い込んでいたからだが(もとよりプーチンは領土を一部でも返還するとは一度も言っていない)、その流れでプーチン政権に接近する政治家もいた。なかでも森喜朗元首相はプーチンとの友情をことあるごとに自慢しており、プーチンと27回も会談した故・安倍晋三元首相もその信頼を繰り返し言葉にしていた。

安倍政権にロシア問題の助言者として重用された鈴木宗男議員も、プーチンを「信頼できる人物だ」と常に持ち上げてきた。こうした政界の実力者たちのプーチン賛美が、日本政府全体に忖度する圧力をもたらしたのだ(※ただし、いちばんの責任は、その程度の忖度でプーチン政権の脅威をきちんと政府内でとり上げなかった外務省にあると筆者は考えている)。

そして、そんな政府筋の情報源を取材する報道各社も、必ずしもプーチンの危険性について十分に報じてきたとは言えない。したがって日本国民の中には、ウクライナ侵攻で初めてプーチンの脅威を認識したという人も少なくなかったようだ。

しかし、プーチンの暴力性はウクライナ侵攻のはるか以前から、明らかだった。プーチンはもう20年以上も前から、自分たちの邪魔になる人物、民族、外国の人々を殺戮し続けてきており、そのことは欧米主要国では広く知られていた。民主主義陣営で日本だけがプーチンに極端に甘かったと言ってもいい。

例えばプーチンは1999年に首相に就任した直後、ロシア軍にチェチェン侵攻を命じ、その戦いを10年間も続けた。この戦争で殺害されたチェチェン人は少なくとも4万人以上。そのなかには反体制派でもない一般住民が3万人以上もいた。彼らはプーチンに殺害された犠牲者だ。

プーチンに暗殺された要人たち

また、今回のナワリヌイ氏のように、プーチンに反逆した人々の中に、プーチン政権の秘密工作によって暗殺されたとみられる人物も多い。たとえばチェチェン戦争に関する政権の暗部を暴いた、ロシアの独立系新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」の記者でジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ記者は、2006年に自宅エレベーター内で射殺された

また、同年には、英国に亡命して反プーチン運動に参加していたアレクサンドル・リトビネンコ元FSB中佐がが放射性物質で毒殺された。

さらに、プーチンと激しく対立していたエリツィン政権時代の最大の新興財閥だったボリス・ベレゾフスキー氏は、2013年に亡命先の英国で変死した。

2015年にはプーチンの政敵だったボリス・ネムツォフ元第1副首相が、モスクワ市内の橋の上で射殺されている。

2018年には民間軍事会社「ワグネル」のシリアでの活動を取材していたマクシム・ボロジン記者(ニュースサイト「ノービ・デン」所属)がエカテリンブルクの自宅アパートから転落死した。ボロジン記者は死亡前に友人に「バルコニーに銃を持った男がいて、階段にはマスクを被った迷彩服姿の男たちがいる」と電話していたという。

暗殺された人々だけでなく、暗殺未遂に遭った人も多い。特に狙われたのがポリトコフスカヤ記者やボロジン記者のような独立系メディアのジャーナリストで、暗殺未遂も含めるとほぼ毎年、複数人の被害が出ている。

ロシア国外でも前出のリトビネンコ氏のように命を狙われた反プーチン派は多い。特に多いのはチェチェン武装組織の元幹部などで、そうした海外での暗殺を実行する秘密組織として、FSBの特殊部隊「ヴィンペル」内の特殊班や、軍参謀本部情報総局(GRU)の工作部隊「29155部隊」が存在することがわかっている。これら国外での暗殺を含めると、反プーチン派の人物の暗殺または不審死のケースは、2022年のウクライナ侵攻以前に優に100人を超える。

21世紀最悪の殺戮者プーチン

未遂に終わったが、大きな注目を集めた暗殺事件が、2018年に発生した英国亡命中のセルゲイ・スクリパリ元GRU大佐の毒殺未遂だ。

これはGRUがやはり軍用毒物「ノビチョク」を使った犯行で、英国政府が激怒し、日本以外の多くの西側諸国がロシア情報部員(公式には大使館員)追放などの外交制裁を行うほどの事態に発展した。このように、今回のナワリヌイ氏の不審死は、あくまで氷山の一角に過ぎないのだ。

他方、プーチンが最も多くの殺戮に責任があるのが、シリアでのロシア軍介入だ。プーチンの命令により、2015年以降の現在まで、シリア国民を殺戮するアサド独裁政権を支援するためにロシア軍機が一般のシリア国民を殺戮している。

その直接の犠牲者数は1万人弱だが、それだけではない。

ロシアの軍事介入で一時は劣勢だったアサド政権が生き残り、一般住民への凄まじい殺戮を続けたのだ。それによって殺害された民間人は20万人以上とみられるが、その多くはいずれもプーチンがいなければ死ななくて済んだかもしれない命である。

このようにウクライナ侵攻時点で、すでにプーチンは21世紀最悪の殺戮者といえた。こうした経歴を知っていれば、プーチンがもともとヒトラーやスターリン、あるいは毛沢東やポルポトといった20世紀の大虐殺者たちと同じカテゴリーの人物だとわかる。

そして、そんなプーチンはウクライナでも無益な殺人を続けており、ウクライナ側の犠牲者はすでに7万人以上とみられる(ウクライナ側の死者数は未公表だが、「ニューヨーク・タイムズ」記事などを元に推定)。プーチンは殺戮の記録を、今も更新し続けている。

文/黒井文太郎

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