志賀(しか)原発のモニタリングポスト15ヵ所測定不能! | 春の兆し

志賀(しか)原発のモニタリングポスト15ヵ所測定不能!

1970年代には能登半島先端にある珠洲(すず)市に原子力発電所建設が持ち上がったと言う。

反対運動が沸き上がり、断層があることが判明したが、北陸電力の立ち上げた有識者会議で活断層ではないとお墨付きを得て建設間際までいったが、地元住民の根強い反対で建設が見送られたと言う。

もし、この珠洲(すず)原発が稼働していたらと思うとそら恐ろしい限りだ。

この珠洲(すず)原発建設が地元の反対により見おくられて設置されたのが能登半島の付け根にある志賀(しか)町原発だ。
ここは町議会議員15人の内の多数派工作により設置が決まったと言う。

原発建設と言う日本の安全保障上の重要な決定がたった15人の町議会議員により決定されたのだ。

昔の事と思うなかれ!

今、中国電力が関西電力とタッグを組み山口県上関町に使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設が進められようとしているのだ。
正に財政難に陥っている上関町の町長以下の少人数の町議会議員が、補助金目当てに建設のための事前調査を受け入れてしまっているのだ❗

さて、この志賀(しか)原発のある志賀町も能登半島沖地震で震度7の揺れに襲われたのだ。
志賀(しか)原発も揺れにより、燃料プールの冷却水漏れと変圧器の油漏れがり外部電源1系統が利用不能と言う。
さらには志賀(しか)原発には4mの防潮堤がもうけられているが、3mの津波にも襲われたと言う。

志賀(しか)原発沖の海岸線も隆起して120ヵ所ある放射能測定用のモニタリングポストが15ヵ所も測定不能に陥っていると言う。

北陸電力はそれでも「志賀(しか)原発は異状なし」と言っているが、果たしてそうなのだろうか?

↓東京新聞が報じた↓
志賀原発の周辺15カ所で放射線量を測定不能 モニタリングポストが「壊れているのか、埋まっているのか…」
2024年1月4日 19時43分

1日に起きた最大震度7の能登半島地震で、北陸電力志賀原発(石川県志賀町)周辺の空間放射線量を測定するモニタリングポストが、15カ所で測定できなくなっている。地震による道路寸断などで現地を確認できず、復旧の見通しは立っていない。原発事故時に住民避難の判断根拠となる実測値を迅速に得られない状況で、原子力災害への備えの難しさを露呈した。

◆東日本大震災では多くの避難者が被ばく

 原子力規制委員会事務局の原子力規制庁によると、原発の約30キロ圏内に約120カ所あるモニタリングポストのうち、輪島市や穴水町など原発の北側20~30キロ付近で地震発生以降、測定できていない。担当者は「壊れているのか、土砂などで埋まっているのかなどの状況は分からない」と話す。
 国の原子力災害対策指針では、原発事故が起きた際、モニタリングポストの実測値で住民の屋内退避や避難開始などを決めると規定する。測定できない場合、代わりに自動車やヘリコプターを使って測定するが、道路の寸断や事故時の高い放射線量下でヘリが近づけるのかなど課題が残る。
 2011年3月の東京電力福島第1原発事故では、福島県が設置していた24台のモニタリングポストのうち23台が測定できなくなり、放射線量の把握が難航。結果的に、多くの避難者が放射線量が高い地域に逃げ、被ばくを強いられた。

◆道路寸断…石川県は「代替手段が取れない」

大きな地震に見舞われた北陸電力志賀原発(1月2日午前撮影)<br>

大きな地震に見舞われた北陸電力志賀原発(1月2日午前撮影)

 志賀原発は運転停止中で、地震による過酷事故は起きなかった。ただ、測定できないモニタリングポストの早期復旧は難しい状況だ。代替措置として、可搬型の測定器を置けたのは、原発から南東に20キロ以上離れた富山県氷見市の1カ所だけにとどまっている。原子力規制庁は、航空機による測定の準備は整えている。
 石川県原子力安全対策室の担当者は「道路が寸断され近づけず、県としては代替手段が取れない」と困惑気味に話した。(小野沢健太、渡辺聖子)