何とか、持ちこたえてほしい❗ | 春の兆し

何とか、持ちこたえてほしい❗

ことのほか冷え込んでいる!

避難所生活を余儀なくされている方々は、不自由な生活を強いられてさぞや窮屈な思いをされているだろう。

阪神大震災で西宮に入った時を思い出す。
その頃、私は大阪で揺れを体験して、その日の朝に西宮に住む親戚の家に車で向かった。
実家のある四国高知から西宮の娘家族に連絡がつかないから様子を見に行ってくれと大阪に住む私に連絡があったのだ。

西宮の家族夫婦は子供二人と共に四人で社宅に住んでいたが、大阪からも電話が通じない。

この日(1月17日)も寒い日だった!

大阪のスーパーで水とおにぎりなどの食料を大量に買い込んで車に積み、朝11時に家を出発した。

神戸方向へは高速は通れないので、国道2号線で西に向かうが、ここも発災直後で相当に混んで渋滞している。

サイレンのなりやまない中、やっとの事で西宮の家族の元にたどり着いたのは夜10時過ぎだった!

西宮に向かう途中、ひび割れた武庫川の橋を夜、渡るときに上流を見るとアーク溶接の火花で何かを焼ききるような炎が見えていた!
後になってニュースで、平行して走る国道173号線に新幹線の鉄橋が落ちている部分の撤去をやっていたと言うことが分かった。

その社宅に住む親戚の家族は4階に住んでいて、幸い無事だったが、電気も水もなく、家にある食料で何とか耐えていたようだ。

その日はその家族を伴って車で大阪へ帰る事を断念して、寒い中で一夜をおくった。

次の朝早く、猛烈に寒かったが、帰りの道路事情を確認しようと自転車で、国道沿いを走ったら、途中、駅員のような人達が崩れた家の瓦礫の中から「5人を助け出したが4人はダメだった。」と話を聞いたのを印象的に記憶に残っている。
阪急今津線の線路沿いでの出来事だ。

そして、阪神高速が途中で倒壊した今津交差点付近で、ライトバンがコンクリートの下敷きになっているのを見つけた。上空を見上げるとバスが半分だけ高速に引っ掛かって落下を免れている!

道路は緊急車両のサイレンが鳴る中、大渋滞だ。
車での帰還をあきらめて、幸い復旧していた阪急線で西宮北口から家族を伴って大阪へ帰ってきた。
その西宮北口の直ぐ横にもむしろを被された御遺体が放置されていたのを覚えている!

その数日後、この不条理さに義憤を感じて大阪から西宮市役所に向かい、その地下1Fでボランティア登録をし、武庫川河口で船から降ろされる救援物資を手渡し手渡しで体育館まで入れていった。
その後、小学校での炊き出しにも参加した。

まもなく、あの阪神大震災の発生した1月17日の日がやってくる!

震災で避難されている方々には、何とか耐えてほしい。
【能登半島地震】輪島市の避難所で低体温症で1人死亡 ウイルス感染も広がる:北陸中日新聞

石川県輪島市の坂口茂市長は7日、能登半島地震で、市内の避難所に避難していた被災者1人が低体温症で死亡していたと明らかにした。

 避難所で9人がノロウイルス、新型コロナウイルスに2人が感染したことも発表した。それぞれ同じ避難所にいた。病院で手当てを受けた後、隔離したという。
↑↑↑